今回は、英語の力とはどんなものかということを考えてみようと思う。お茶でも持ってきて、気楽に僕の話を聞いてくれたまえ。
さて、英語ってつまらないと思う人、結構いるよね。でも、英語がうまくなりたいと思う人、これもまた結構多いんじゃないかな。
学校の勉強を、英語・数学・国語・理科・社会と、音楽・美術・体育・技術家庭の2つに分けて考えることが多い。でも、英語って、数学・国語・理科・社会のように知的、学問的側面を持っている(文法・構文・語法など)のと同時に、音楽・美術・体育・技術家庭のような技術的側面を持っている(コミュニケーションの道具っていうこと)と思う。
英語はね、基本的には、自分の考えていることを相手に伝え、相手の思っていることを自分に届けてもらうための道具に過ぎないんだ。はんだごての使い方なんて、技術家庭科の教科書を読むだけじゃあ、わかるはずがない、実際に使ってみなくちゃね。だから、コミュニケーションの道具である英語も、机に向かって教科書を読むだけじゃなく、どんどん使う練習をしよう。
その練習は多ければ多いほどいい。今、これを読んでくれている野球部の君、毎日英語の授業があっていやだなあと思っているかもしれない。でも、君が野球の練習をしている時間に比べたら、英語の時間は圧倒的に少ないじゃないか。だから、たくさん練習した野球はうまくなっても、あまり練習してない英語はちっともうまくならないのは、むしろ当然なんだ。「自分には英語の才能がないんだ。」と嘆いている人の多くは、実は才能がないんじゃなくって、単なる練習不足なんだよ。
そうやって練習を続け、少しずつ英語がわかってくると、今度は「文化」というものに目が行くようになるかもしれない。そもそも言語というものは、歴史的、民族的特徴を持った、ある文化を背景として成立するものだ。日本語というものが日本文化を背景として生まれてきたように、英語も英米文化を基礎として成り立っている。英語が日本語に比べて論理的な構造を持っているのは、おそらく英米人の思考方法が日本人より論理的だからだろう。そして、歴史が進み、文化が変容してくると、それにともない言葉も変化してくる。日本でも若者文化が、どんどん新しい日本語を作り出しているよね。こういうことに興味が湧いてくると、ぐんと英語が面白くなるよ。
ただ、そこまで行かなくても、英米文化を基礎とした英語を勉強しようとする以上、英米文化に少しは関心を持たないといけないよ。
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