本年3月、音楽界の巨星、坂本龍一が亡くなった。訃報に接したとき、衝撃よりも終にその瞬間を迎えられたか、という静かな心持ちが襲った。彼の自身による2冊の自伝の内、『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』を読了していたからだ。
本書二節目、「時間の疑わしさ」の節で、坂本はこう語る。
「音楽は時間芸術だと言われます。時間という直線の上に作品の視点があり、終点に向かって進んでいく。だから時間は僕にとって長年の大きなテーマでした」
「それでも自分自身が健康だった頃は、どこか時間の永遠性や一方向性を前提としていたところがあったのですが、生の限定性に直面した今、これまでとは違った角度から考え直す必要があるのではないかと感じています」
坂本龍一は、時間について再考するため、「アリストテレスから始まり、アウグスティヌス、カント、ハイデガー、ベルクソンそして現代の物理学者らが時間について語ったこと」を読み漁り、そして「ニュートンが唱えた『絶対時間』の概念は間違っている」という気づきを得る。「時間は言ってみれば脳が作り出すイリュージョンだ」というのが、差し当たりの坂本氏の結論だった。時間は、(私たちの脳の中にしか)存在しない。それは、死は存在しないということとどこか似ているのではないか。音楽家にとって、(あらゆる芸術家にとって)時間とは最大のテーマであり、すべての試行と営みの大前提であり、最後に立ちはだかる壁である。それは坂本龍一にとっても同じであり、余命宣告を受けた後はますますそうだった。
そもそも、『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』という題名自体、一人の人間の持ちうる時間の有限性を、その残酷性を表している。この言葉は、坂本龍一が音楽を手掛けたベルナルド・ベルトリッチ監督の「シェルタリング・スカイ」のラストで、原作者でもあるポール・ボウルズが(自身の小説からそのまま引用し)口にするものだが、坂本氏はその印象的なセリフを我が事として受け止め、最期の遺稿のタイトルとした。
だが、音楽を書いた時の坂本は40歳にもなっていなかったのだ。どうして自分はあと何回満月を見るか、などと問うことがあろう。死を前にしたとき、初めて人は生の有限性を本当に知るのではないか。
翻って、坂本龍一が青春時代を過ごした1970年代は、新宿を拠点とするヒッピー文化全盛期であった。坂本は新宿高校で学び、学生運動を牽引した存在として語り継がれている。
昭和から平成、令和と時は移り、新宿再開発が進む中、目玉とも言える企画が歌舞伎町新タワーの開設だ。コロナ禍でのプロジェクトにおいて、「逆境から立ち直っていくシンボルタワー」を作っていくという想いから、各社の知恵と技術を結集させている。
わけても、前身である「新宿ミラノ座」のレガシーを大切にしながら、鮮やかに生まれ変わったのが、「109シネマズプレミアム新宿」だ。全シアターにハイスペックな映写、音響設備を備え、全席プレミアムシートのシネコンの登場は日本初。
本館のすべてのスクリーン音響監修を、音楽、映画、芸術への深い思いを抱き、坂本龍一が務めたことも話題となった。坂本氏はオープンを見ることなく、ひと月前に不帰の人となったが、オープン初日の「マーベリック トップガン」に始まり「RRR」「怪物」「バーフバリ 伝説誕生」「バーフバリ 王の凱旋」「バービー」「コンフィデンシャル:国際共助捜査」と6か月で7作品に足を運んだ中で、坂本龍一が作りたかった「大人が安心して遊べる上質な空間」が見事に演出できているなという感想を持った。
人が一生の間になしえる仕事は本人が思うより永続的ではない。坂本氏は膨大な作品を残したが、音楽は再生され聴かれることで初めて生命を持つ。そして、デジタル社会になった近年、音響や映画は、閉ざされた空間で一人によって受容されることが圧倒的に多くなった。それは強ち悪いことではなく、話題の作品や見逃していたものを、隙間時間に一つでも多く観ようとするなら、有効な手段であるし、私もその恩恵に大いに浴している一人だ。
だが本来、映画や音楽は劇場で楽しむことを想定して作られており、それを最も体現したのが、シネマコンプレックスと言われるエンターテイメント空間だ。若者とはもはや言えなくなった世代の人々が若者だった時代、一食削っても映画館でのデート代を捻出し、あるいは孤独を映画や音楽にぶつけて、足繁く劇場に通った記憶が誰しもあろう。作品の善し悪しを含め、いつどこで誰と(または一人で)何を見たか(聴いたか)という体験が、青春と切り離せない思い出としてあった。
金をかけずお手軽に、膨大な作品が早送りされ消費されていく現代に、すべてのアーティストを代表して、坂本が言いたかったのは、「ちょっと待て!もう少し時間と手間暇をかけて、真の贅沢を取り戻そうぜ!」ということではなかったか。
新宿が、再開発により再び往年の活気を取り戻していくのを見るのは、新宿の街を聖地として青春を過ごした一人として、胸が躍る気がする。坂本龍一のレガシーを、生きてきた時代を想いながら、これからも度々新タワーを訪れることだろう。
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