小論文が書けない、という生徒は少なくありません。一言で書けないと言っても状況は生徒により様々です。まず書くという行為に萎縮して一文字も出てこないという重症患者から、100字ほど書くともう書くことがなくなって手が止まってしまう子、問題文の読解力に問題がある子・・・。そういう生徒たちと一緒に四苦八苦しながら、本当になぜ書けないのかな、と、私もずっと考えてきたわけですが、その中で、書けない子というのは、普段あまり意図的にものを考えていないのではないか、と思うようになりました。
近年ではマスコミやインターネットを通して様々な情報が入ってくるのですが、それらの情報を自分なりに咀嚼して整理し、知識として組織化することに慣れていない。そして、すぐに答えを欲しがる傾向があるようです。
実は、書けない子が書けるようになるための処方箋と、没個性的な小論文から脱却して「ちょっと光る」小論文を書けるようになるためのそれとは、ほぼ同じものなのです。要は、テーマに対して自分の頭で意図的に考え、その自分なりの思考プロセスそのものを、あるいはそのプロセスによって出てきたものを、言葉で表現するわけです。中でも大切なのは、できるだけ多角的な見方をしてみることです。一つの視点だけから見て、そこから見えたものに満足してそれを書いたとしても、紋切り型で説得力に乏しい文章にしかなりませんし、字数もなかなか増やせません。様々な方向からテーマについて検討し、その中から自分の興味を最も引くような見方を選択して論じる。あるいは、様々な見え方をするテーマの、その様々な見え方そのものを論じるのです。
では、多角的な見方をするためには何が必要なのでしょうか。これから述べることはマニュアルではありません。私自身が文章を書くときや、ものを考えるときによく使うツール(道具)を紹介するだけです。あなたが考えるための一つの参考にしてもらえれば、と思います。
1.準備
例題:「優等生的でつまらない小論文から脱し、“ちょっと光る”小論文を書くためには何が必要か、自分の意見を述べよ」
1)言葉の定義を明確にする
ある言葉から何をイメージするかは、人によって様々ですから、場合によっては、ある言葉を使って自分が何を言いたいのかをまず明確にする必要があるかもしれません。それは問題文を読むときも同じこと。たとえば“光る”って何だろう? このような抽象的な言葉に対しては、自分なりのイメージを付加して論じていいのですが、どのようなイメージを付加したのかを明らかにしておくと、テーマがはっきりしやすくなります。
ちなみに私は、砂浜で光を受けてきらっと光る桜貝をイメージしました。似たりよったりの砂粒の中から、ちょっと違って見える、見る人にアピールする、個性のある、というイメージです。そうすると、私にとってのこのテーマは、個性、アピール、違い、などのキーワードで表現されるという方向性が浮かび上がってきます。
2)前提を疑う
問題文を読んで、それに対する自分の意見を述べる型の小論文では、問題文の趣旨を正確に把握することが大前提です。その上で、その趣旨に対して真っ向から意見を述べる前に、問題文が自明としている前提に“突っ込み”を入れる余地がないかどうか調べてみましょう。“突っ込み”は、質問の形で行います。たとえば、「優等生的でつまらない」論文て何だ? など。言葉が表すものには限界がある以上、言葉には表れていないが筆者が前提として持っている価値観や考え方が必ずあります。それを見つけ、「本当にそうだろうか?」と疑ってみることも、視点を拡げる上で有効な場合が多いのです。この場合だと「優等生的な小論文はつまらない」という前提が隠されていることに気づき、「本当にそうかな?」「優等生的で面白いものはないか?」などと突っ込んでみるわけです。
あるいは、“ちょっと光る”小論文を書くためにと言うけれども、“光る”ことは本当に必要なのでしょうか? 「ええ? こんなことまで疑っちゃうの?」と思うかもしれません。まさに、「こんなことまで?」とびっくりしてしまうようなことこそが「隠された前提」なのです。一見、当たり前すぎて問うことに意味がないようにすら思えてしまうような問いをあえて問うてみることで、改めて見えてくるものがあることがあります。たとえばこの例題の場合だったら、なぜ“光る”必要があるのか、自分なりに考えるきっかけを作ることができるかもしれません。皆さんも考えてみてください。
3)結論を先に考えない
よく、小論文を書く際に、結論(言いたいこと)を決めて、それを具体例などを使って説明していくとよい、と言われることがあります。確かにそれも一つの方法です。ただ、早い段階で結論を安易に決めてしまうと、思考に広がりが生まれにくく、固定的でつまらない文章になりやすいという難点がある、ということは意識しておいたほうがいいと思います。柔軟な発想をするためには、まず結論ありきでなく、それを徹底的に疑ってみたり、たくさんの問いを発したりして、そこからどんな答が浮かぶのか少し待ってみる、というプロセスが不可欠です。そもそも結論というのは、様々な試行錯誤を繰り返した挙句に「浮かび上がってくる」あるいは「たどり着く」ものであり、最初にあるものではない、というのが私の考えです。最初の段階では、主題について多角的に検討し、自分なりの方向性、視点を模索する。そのプロセスで、何か自分なりにピンと来るテーマや方向性が見つかったら、今度は実際に文章を書く準備として、そのテーマなり方向性を深め、考えたことを効果的に表現するために、しっかりと構成を考えていくわけです。
2.質問の力を最大限に使う
私がものを考えるときに最も強力な武器と考えているのが「質問」です。これは有効に使えば、今まで当然と思っていた物の見方を突き崩し、混乱を生み出し、そこから今まで気づかなかった新しい視点を獲得することができます。問題文に対して突っ込む場合と、自分の思い込みやとらわれに気づき、思考を拡げる場合の、どちらでも使えます。
質問の形式としては、よく5W1Hということが言われます。いつ(when)、どこ(where)、誰(who)、何(what)、なぜ(why)、どのように(how)です。豊かな発想につなげるための質問では、この5W1Hを少しひねった形で使うのがコツです。私がよく使っているひねりの型をいくつか挙げてみましょう。
- 拡大/縮小
・・・時間軸、空間軸におけるレベルを大きくしたり小さくしたりする。
- 真偽
・・・「本当にそうなの?」と疑う。その後、様々な質問を続ける。
- if/if not
・・・「もし○○だとしたら?」「もし○○じゃないとしたら?」盲点を発見
できるかもしれない。
- 極大化/極小化
・・・「最も○○なのは?」「最も○○でないのは?」
- 特定化/普遍化
・・・「いつもそうなの?」「誰でもそうなの?」「それが当てはまらないのは?」
- 具体化/抽象化
・・・身近で見聞きしたこととどうつながるか? より普遍的にはどのような
問題となるか?
更に、これらの「ひねり」を加えた5W1H質問の例を以下に挙げてみます。
When
・・・いつから? いつまで? どんなときに? 以前はどうだった? これからどうなる?
いつもは? 一番○○なのはいつ?
Where
・・・どこから? どこまで? マクロ(ミクロ)レベルでは? 他の国(文化、種族)ではどう?
Who
・・・誰にとって? 誰のために? 誰でもそうか? 他に誰かいるか?
もし私だったらどうか? もし○○さんだったらどうか? 第三者はどう見るか?
What
・・・どれ? 2つのうちどちら? 他の選択肢はないか?
Why
・・・(宿題)
How
・・・手段は? 経緯は? 他の手段はあるか?
質問のオンパレードにめまいがしてきた人がいるかもしれませんが、私が言いたいのは、質問こそが、人間の知識欲を刺激し、主体的な思考を喚起するためのよきパートナーだということなのです。必要は発明の母と言いますが、思考にとっての母は質問です。よき質問なくしてよき答を得ることはできません。小論文で書くことが思い浮かばない人は、質問のしかたが下手か、もしくはワンパターンなのです。実際に何らかのテーマで小論文を書く際に、この中の一つでも二つでも使って自問自答してみてください。そうすれば、書くことが思い浮かばない、という悩みだけは払拭できることに気づくでしょう。
ただ、質問は、時に大きな混乱を巻き起こします。それは未知なる世界への招待状なのです。よく知っていると思っていた世界の、見知らぬ面を見ることに、人は不安を覚えます。その不安を受けて立ち、乗り超えた者だけが得ることの出来る自己表現という快感を、是非味わってほしいと願いつつ、私は今日も小論文の指導にいそしんでいます。 |