(筆者より:この文章は、{、}や{。}のまちがい、更に{誤字脱字}がたくさんあります。筆者の筆の流れと勢いを楽しんでください。内容もわかりづらくなっておりますが、もし理解出来ないときはご連絡をお願いします。)
私は、予告で数学と算数につまずく原因を考えどのように対処することによって、算数数学嫌いから抜け出すヒントを明らかにしていく予定でいましたが。文を考えるうちに、入試が何を目指しわたしは生徒児童に適切に指導しているのか?また、これから指導はなにが必要なのかを考える文章を書き、数学というより今の中学入試と医学部入試が目指す算数数学の本質を明らかにしようと考えた。
さて、算数の勉強をしていく場合、特にサピックスのような中学入試受験指導をしていると感じるのは、四則演算に対し閉じていない(ここでは数学的な意味で)ことを利用する計算の出題が頻出することです。例えば、2−5+8−4=のようなものがあります。低学年からずっと足す引くの問題は前からやりなさいと教えてくるのに、ここに来て足すが付いている数字を前に出して2+8−5−4=のように変形するんだよ足すは足すで引くは引くで集めると計算できるんだよ。とだまされたようなやり方を教えてもらいなんとなく納得する。ここで、少し頭のいい児童は、なんで、−4−5+8+2=のように引くを前に出せないのとか、数字の前の符号を付けるのとか、−5+8=−13にならないの?とか中学に入ってからも間違える質問をしてくる。この質問に対して、私は出来る子には、−と+は数直線上の方向を表す。マイナスはプラスと反対の方向なんだよ。のような説明をすることにしている。出来ない子には、プラスを前に集めると出来るよ。という技術的な説明ではぐらかしている。
数直線や温度計の話をすればいいのだろうけれど概念が解って欲しい為どうしても理解力で説明を分けている。その子に合った理解その子の能力を見極めて行った形なのだ。さらに、加減乗除が演算について閉じていないこととは関係ないが、偏差値が高い場合三元一次連立方程式まで理解しておきたい。まるで高校入試の範囲である。だから、ここでもどの解答を選ぶのか即ち連立方程式か面積図なのかなどはその子の能力に因る。連立方程式が解ければ上位校への挑戦者になれると考えてもいいということである。私は、数学は知識があるならば、早く数学的感じ方考え方が身につくと考えているので良い傾向だと思うのだ。やはり、理系の発想、発見は若いフレッシュな頭から生まれるのであるから理系が出来る子にはたくさんの援助が与えられるのは本当に喜ばしいことである。もちろん、中学入試が良いことだけだと言っているのではないただ更に子供達が自己を高める機会が増えることが大切だと主張したいのである。
中学入試についての考えを示したが、今度は、大学入試について、特に、医学部入試について考えてみたい。医学部入試の過熱ぶりはすごいとしか言えないくらいである。国立の医学部は私が受験時代40年前から難しく俊才が入るものであった。しかし、私立の医学部は慶應や日医などを除き新設の医学部は誰でも入れる時代であった。早稲田の理工と比べると当時は慈恵よりは高い偏差値だった。しかし、今は日大医学部または東海大医学部と同じ偏差値になってしまった。今の若者は、研究者より臨床医ということなのだろう。さらに、医師の家は医師になる場合が多いし、国立医学部出身の親から子供は私立の医学部という場合が多々あることも医学部入試の過熱をまねいている。さて医学部入試の数学はなにを求めているのだろう。何処の入試解説を見ても、試験時間が少なく問題の量が多いとなっている。全く同じ意見である。数学の内容的には複素数、微分積分などに内容的に閉じていないところを問題とすることはあるが、ただし書きが付けられている。この“ただし書き”作戦は数学だけでなく理科の分野でも見られ受験生の適応力を試していると考えている。このようなことを考慮すると、無謀な課題を与えられた受験生が時間内に自分の最大限のパホーマンスをすること解けるものを判別して得点して行く試練になっているのだろう。
私立の医学部入試は実質平均20倍である。その中には能力が及ばない受験生もいるのだから、このスーパーマンになれという数学もゆるされるかな?ただし、数学は考えて論理的に構築されていなければならないはずだと思っている。だからこの私立の医学部入試の数学はどうしても小手先の解決策にみえる。もちろん、知識量がある生徒には有利になるし、何年も頑張ってきた生徒にも有利なるからひとつの方法であることはまちがいない。確かに数学に関して論文を書くわけではないから的確な計算解く問題を決定する戦略がある受験生を選別出来るから、医師の診断には役立つことになるかもしれない。とりとめのない意見を書いてきたが要は実力をつける、範囲は関係無いと言うことだろうか 。
そして、ちゃんと能力が備わる児童生徒は自分の能力を更に高める為に学習し自己実現に邁進し、もし能力的に劣った児童生徒だとしても、そのときの入試は不本意になろうと自分を高める努力が実を結ぶ時が来る、人には無限の可能性があるのだから。 |