今日は占いについてのお話をしてみたいと思います。
世の中には数多くの占い手法が存在します。もっとも身近なもので言えば、週刊誌の片隅や占いサイトの「○○座生まれのあなたの今日の運勢」とか、血液型占い、動物占い、それらを使った相性占いといったものから、本格的なものになると、占星術、人相術、数秘術、四柱推命、算用術などなど、古代から連綿と受け継がれてきている秘教的な知恵まで様々です。
概して女性には占いが好きな人が多いようです。
私はといえば、子供の頃は占いが好きではありませんでした。好きでないというよりも、正直に言えばバカにしていたと言ってもいいくらいです。
たとえば血液型占い。A型はこんな性格で、B型はこんな性格。A型とO型は相性がいいけれど、A型とB型は気が合わない、等など。世の中にこれだけ多くの人間がいるのに、それを4つの型に分類して、決めつけるなんて理屈に合わない。A型にだってずぼらな人はいるし、B型にだってこまめで気の利く人はいるではないか。こんな非科学的なことを大真面目に吹聴する人は頭が悪いのではないかと思っていました。
星座占いにしても同様で、人類を生まれ月で12類型に分けて何がしたいんだ、と思っていました。そのうえ、今日のラッキーカラーが黄色でラッキーアイテムが猫の小物とか、それで黄色を見つけては喜ぶ女子は頭が悪いのではないかと思っていました。
成長して大人になった私は、仕事柄、人間に興味を持つようになりました。私の仕事は家庭教師ですから、自分の生徒が幸せになるためには何が必要なのかを真剣に考えるわけです。すると、やはり幸せは心で感じるものですから、人の心について知りたい。そして、その人の人生を形作っていく思考や行動、それらを決定しているのは何なのかを知りたいと思い、様々な心理学なども勉強しました。
心理学には様々な流派がありますが、多くの流派が、人間をいくつかの類型に分けて理解する体系を持っていることに気づきました。ユング心理学では外向型と内向型、思考型・感情型・感覚型・直観型。私が学んだシュタイナーの教育論では多血質、胆汁質、憂鬱質、粘液質に分けていました。これは、人間を理解するために非常に役に立つものでした。まずは自分がどの型に当てはまるのかなと考えることによって、自分というものを客観的に見つめ直すことになります。だいたい、人は自分のことは見えないものです。目は外に向かってついており、自分の外側にあるものを見るには適していますが、自分自身を見るということは意識しないとなかなかできないからです。自分の考え方、自分の価値観、自分の視点を通して物を見て考えて判断するのが当たり前に感じられてしまうのです。その見え方、感じ方が普遍的なものではなく、あくまで自分に固有の反応なのだ、ということがわかるだけで、一気に視界が開けます。そして、自分以外の気質や類型について、身近な人たちを思い浮かべながら学ぶことで、今まで理解できなかったあの人のあの行動や、あの反応の仕方、また別の人の変な癖や傾向などを、ある程度理解できるようになります。人は理解できたことに対しては安心しますので、今まで理解できなくて不気味な人だったあの人ともお近づきになりやすくなるわけです。
シュタイナーの教育論では、子どもの気質というものを重視し、それぞれの気質に合った対応をすることが大切だと説いています。たとえば多血質の子は、その良い面が出ていれば好奇心旺盛でフットワークが軽く、明るくて社交的な子になりますが、その悪い面が出れば、飽きっぽく移り気で、気分の変化が激しく、疲れやすい子になります。また、粘液質の子は、良い面が出ればゆったりとして慎重で粘り強く誠実な子になりますが、悪い面が出れば、怠惰で不活発で頑固になりやすいと言った具合です。そのような子ども一人一人の気質を理解したうえで、良い面を伸ばし、悪い面が減るように、その子に応じて工夫して導いていくわけです。4つの気質のうち、どれが優れていてどれが劣っているということではなく、それぞれの気質を磨いて高貴なものへと高めるということがとても重要なのだと教えられました。
心理学を深く勉強していくと、やがて古代から連綿と伝えられてきている深い叡智にも触れていくようになります。すると、そういった深い知恵の体系の中には、必ず占いのようなものがあり、未来を見通したり、個人の限られた視野を超えた、より全体的な視野から現状を判断するためのツールとして使われてきたということがわかってきたのです。ユダヤ神秘思想であるカバラ、中国の陰陽五行思想、イスラム教秘教のスーフィズム、キリスト教神秘思想の神智学などです。たとえば占星術は東洋にも西洋にも精緻な体系があり、人の生まれ持った性格や性向、才能、気を付けるべき弱点、それを克服する方法など、かなり細かく様々なことがわかります。優れた鑑定家であれば、第六感のようなものも使って、多彩な情報を提供してくれます。私もそういった鑑定を受けてみたことがありますが、その洞察力と人間理解の深さに驚いたものです。
そして、そのような勉強をしてみると、現在、いわゆる占いとして世の中に知られている手法の多くは、そういった古代から伝わっている知恵の体系をもとに、現代にマッチした、より親しみやすい形にアレンジされたものが多いということがわかってきました。いわゆる星占いのベースは古代の占星術にありますし、動物占いもルーツは四柱推命にたどることができます。ナンバー占いはカバラの数秘術から来ているものです。血液型占いのルーツはよくわかりませんが、もしかしたら何かあるのかもしれません。
どちらにせよ、占いにしろ心理学にしろ、そこで得た情報はあくまでも情報です。昔の私は、その情報が正しいかどうか、科学的に根拠があるかどうかにこだわっていました。つまり、正しいか正しくないかが重要だ、という私固有の価値観に基づいて占いというものの価値を判断していたことになります。でも、今、私がもっと大切だと思うのは、どんな情報であれ、その情報をどのように受け止め、どのように使うかは自分次第だ、ということです。たとえば、新聞の占い欄で今日のラッキーカラーが黄色だと読み、実際に黄色の何かを見て、きゃーラッキー♪と楽しんで一日を過ごせるなら、それはそれで結構なわけで、それを他人が見て、何を非科学的なことを言ってるの、バカみたい、というのは、この上なく大きなお世話なわけです。
昔、私の友達で、こんなことを言う人がいました。
「ああ、あの人はB型なのね。道理で気が合わないと思ったわ。私はB型の人とは合わないのよ」
これは占いの活用法としては非常に下手なやり方だと思います。なぜなら、自分がうまくやっていけない人を「B型だからうまくいかなくて仕方ない」という言い訳を使って正当化しているからです。また、「私はO型だから細かいことは苦手なの」みたいなことを言う人も同様です。自分の弱点や欠点を、占いを使って正当化してしまえば、それを改善するため努力するという気持ちになりにくいのではないでしょうか。思えば、私が子供の頃に占いが嫌いだった理由は、科学的根拠の薄さに加え、占いをこのように自己正当化や人を決めつけるために使う人が周りに多かったからだと思います。
逆に、上手な活用法としてはこんなやり方があるかもしれません。
「あの人は細かいところに気を遣うタイプではないけど、やさしいところがあるし、ムードを盛り上げるのが上手ね。でも意外と繊細なところもあるから、褒めて自由にさせてあげたら力を発揮してくれるし、楽しい仲間になれそうね」
人や自分をいろいろな角度から理解したり、共感したり、自分が成長するために占いを使えるといいですよね。
何か迷ったり悩んだりしたときに、占い師のもとを訪れる人は意外と多いようです。そこで得たアドバイスをもとに、それまで自分に見えていなかった別の角度から状況が見えて、自分のするべきことがわかり、積極的に問題に対処できるようになる人もいれば、占いでこう言われたからといって、盲目的に従ってしまう人もいるでしょう。後者は占い依存症などと言われますが、まず、受け取った情報にどう対処しているかという自分自身を振り返ってみることが本当に大事だと思います。 |