禁多浪先生 |
「みなさん、今日は随筆の分野で、鎌倉時代の作品『徒然草』について談義してもらいましょう。」 |
クマ吉 |
「僕はこれを書いた作者、兼好法師(卜部兼好)について申し上げます。彼は先祖代々京都吉田神社の社家(しゃけ)の家で生まれました。だから、彼自身も神主をしていましたが、のちに出家隠遁生活に入り、比叡山の横川という山奥に住み暮らしていたのです」 |
コン助 |
「僕も兼好法師のことなら、言えるよ。彼は京都に住んでいたから、京都をネタにした文章を結構書いているんだ。上賀茂神社の比べ馬の話や、高良神社を石清水八幡宮と間違えて帰ってきた話、双が丘(ならびがおか)、修学院(修学院離宮とは異なる)、比叡山の横川など、京都の地名も盛り沢山に書いているよ」 |
モン太 |
「神に仕え、仏にも仕え、その区域の住民にも接触していた人なので、世間話や噂話も聞いたり、世間の批評もしたり、とにかく物知りで、かつ文学的な素養もあり、だからこそ、いろいろなエピソードを挙げながら、教訓的な意見も書けたんだと思うよ。随分昔の人が書いたにもかかわらず、現代人が読んでも十分に相通じるものがあるなあ」 |
禁多浪先生 |
「古典とはそういうもの。いつの時代を経ても、生き残っていく優れたものなんだ。では、そろそろ内容に移っていこう。まず、それぞれの課題の段について発表してもらおうかな」 |
ワン郎 |
「はい、まず、僕は110段『双六の上手といひし人に』で、これは、双六が上手な人にそのコツを尋ねたら、勝とうとして打ってはいけない。負けまいとして打て。どのやり方が早く負けるだろうかと計算して、1回でも遅く負けるようにするがよいと言っている」 |
禁多浪先生 |
「例えば受験であったなら、合格するためには、不合格になるのはどんな時なのかを考える。つまり、負の時を考え、その対策を練っておくほうがうまくいくってことだ。世の中の人は、悪い時のことを考えなさすぎる。これは国の統治者や会社の経営にも通じる教訓と言えるな」 |
ウサ子 |
「次はわたしよ。121段『養ひ飼うものには』です。家で飼うのは馬と牛がいい。つないでおくのはかわいそうだが、なくてはならないものだから仕方がない。また、犬は家を守る力があり、人間より勝っているが、わざわざ飼うというまでもなく、どこの家にもいるものだ、と書いています。そして、鳥などは籠に入れたり、羽などを切ったりして飼うべきでないと言っています。それも一理あるけど、野鳥じゃなくてペット用として飼うために売られている鳥は、手元に置いて可愛がってあげたいわ。あの時代と今は事情が違うからね」 |
モン太 |
「今は動物も家族の一員になっている時代だからね。自然のままを損なうのは多少仕方ないとしても、動物をいじめる人間だけは許せないよ。猫のしっぽを切ったりするやつがたまにいるけど」
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禁多浪先生 |
「命ある生き物は大切にしなくちゃいけないことが分からない人間は、いくら勉強ができたって人間として失格だ。君たちにはそういう人間にならないでもらいたい」 |
モン太 |
「僕は、勉強ができなくても、そういうことはしませんから。先生、安心してください」 |
クマ吉 |
「次は129段『顔回は志、人に労を施さじとなり』。ここでは孔子の弟子、顔回の言葉を挙げ、人の心に負担をかけてはいけないと説いている。世の中には、幼い子供をだましたり、脅かしたり、からかったりして喜んでいるのがいる。そして、肉体が傷つくより心を傷つけることのほうが、人間に害になる。病気は心の中からかかると言う。まさに兼好さんはよく見抜いていると思いますよ」 |
禁多浪先生 |
「さすがだ。今は子供も大人もいじめられたり、だまされたりの世の中だ。何気なく言った言葉で人の心を傷つけることだってある。この段も心しておくべき教訓に富んでいる」 |
コン助 |
「いよいよ僕の番か。233段『万のとがあらじと思はば…』。万事失敗がないようにしたいと思うなら、何事にも誠意を示し、人を分け隔てせず、誰に対しても同じように敬意を表して、口数を少なくしているのがいい。すべての失敗は物事に慣れきって、上手ぶって振る舞い、他人を侮る態度から生じるのだと述べている。これを読んで改めて、『口は禍(わざわい)の門』ということわざを思い出したよ」 |
禁多浪先生 |
「まったくその通り。モンタ君も、今の話をよく心に留めて、余計な事ばっかり言わないようにしないとね。まあ、君の冗談口はおもしろいから、時々だったらかまわないけどね。さあ、いよいよ最後の番だよ」 |
モン太 |
「かしこまりやした。待ちに待ったモンタ登場。僕は235段『主ある家には、すゞろなる人…』です。主人のいる家には、何の関係もない人が勝手に入り込んでくることはない。主人がいないところには通行人がやたらと入り込み、キツネ、フクロウも人がいないことをいいことに入ってくる。-------何もない空間にはどんなものも入ってくる。人間の心にいろいろな迷いが入り込むのは、心にしっかりした確信がないからで、自分の心に実体があれば、そこにいろいろな雑念は入ってこないと言っているよ。たしかに、今も物騒な世の中で、一人暮らしのところに泥棒が入ったり、それどころか殺されたりとかいう事件もよくあるね。恐いことだ。コン助もキツネってことは、勝手に入ってやりたい放題なのかな」 |
コン助 |
「おい、モン太、何を言う。僕はそんな悪い奴じゃないよ」 |
モン太 |
「向きになるなよ。冗談、冗談!」 |
禁多浪先生 |
「兼好さんの説からは、大事なことが学べるよ。心の中にしっかりした確信、つまり、信念をもっていれば、揺るがないということ。誰が何を言おうと平穏でいられるっていうわけだ。以上でみんなの発表は終わりだね。今日も課題をよくこなしてきたね。いつの時代を経ても生き残っているのが古典だから、小学生や中学生でも、是非気軽に手に取ってもらいたい。」 |
一同 |
「はーい。先生、ありがとうございました」 |