◎その1 |
禁多浪先生 |
「縄文時代は今から1万年くらい前から2300年くらい前までで、8000年近く続いた時代だ」
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コン助 |
「ヒエーッ、気が遠くなるほど昔の時代ですね。彼らって、竪穴式住居に住んでいて狩猟生活をしていたんですね」 |
ウサ子 |
「そうそう、それはわたしだって知ってるわ。だけど、土偶が造られ始めたのはいつ頃からかしら」 |
ワン郎 |
「それは今から約1300年前と習ったよ。こう見えても、僕は歴史が好きだったんだ」 |
禁多浪先生 |
「お見事、お見事!その頃は土偶の草創期でね。だから、手や足をつけないで、胴体だけを造ったといわれているのだ」 |
モン太 |
「それくらいの物だったら、僕も造れるかも」
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禁多浪先生 |
「縄文時代に生きていた人が造った物だから、歴史的価値があるんだよ」 |
◎その2 |
禁多浪先生 |
「それじゃ次に、どこで発見されたかを考えてみよう。まず、縄文遺跡はどれくらいあるか、誰か、知ってるかね」 |
モン太 |
「うーんと・・・5000くらいかな」
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禁多浪先生 |
「日本各地の遺跡から出たものを合わせると、もっと多いよ。約18000点ほどあるんだ」 |
モン太 |
「フエーッ!すごいなあ」 |
クマ吉 |
「だけど、発見された場所は、まちまちだとか。ゴミ捨て場だったり、お墓だったり、住居の跡だったりで、一カ所にきちんと置かれていたりというのはあまりないらしい。以前にそう教わったよ」 |
禁多浪先生 |
「そうだ、クマ吉君、よく知ってるね。それがこの頃の土偶の特徴だよ。身体の各パーツ毎に、いろんな場所からみつかったんだ」 |
コン助 |
「これはバラバラ事件だ!クワバラ、クワバラ」 |
◎その3 |
禁多浪先生 |
「次にその土偶を造ったのは、どんな人達なのか?もちろん、縄文時代に生きていた人が造ったのには違いないが・・・ウサ子さん、誰だと思うかね」 |
ウサ子 |
「農耕は弥生からだから、猟師?でも、こんな昔、まだちゃんとした職業に分かれてなかったよね」 |
コン助 |
「そうだね。一般には自然のものを採ってきて暮らす生活だが、他に占い師や巫女のような人もいたらしいよ」 |
モン太 |
「そんならさ、僕は占い師だと思うよ。暇な時間があったんじゃないかな」 |
禁多浪先生 |
「なかなかいい所に目をつけたね。呪術師(シャーマン)が作ったという説が一番、有力なのだ。シャーマンと言えば、女性が主だがね」 |
ワン郎 |
「シャーマンか、呪術を唱えながら造ったのかな。だけど、どんな物を造ったのか知りたいなあ」 |
◎その4 |
禁多浪先生 |
「それじゃ次は何を造ったのか考えてみよう。そもそも土偶というのは、古墳時代の埴輪とは異なるのだよ」 |
クマ吉 |
「あ、そのこと僕、知ってます。埴輪はお墓の周りに置いたり、一緒に埋めたりするものなんだけど・・・これはちょっと違うんですね 」 |
禁多浪先生 |
「そうそう、その通り。縄文時代のは土偶だから、その用途は違うんだ。中にはお墓に置いたのもないことはないのだが・・・じゃ、モン太君」 |
モン太 |
「小さいものは子供の玩具として作ったんだと思うよ。玩具なんて何もない時代だからさ」 |
禁多浪先生 |
「全くその通り、モン太もたまにはいいこと言うねえ」 |
ワン郎 |
「じゃ、先生、大きいものはなかったのですか」 |
禁多浪先生 |
「いやいや、初期の頃のものは、小型で単純なものだったが、後期になってからが、大きなもので複雑なものを造ったのだよ」 |
コン助 |
「先生、大きなものというと、象とか鹿とか、そういう動物などですか」 |
禁多浪先生 |
「まあ、日常彼らたちはそういった動物たちと接していたからね。もちろん、そういったものもないとは言い切れないが、主として人間の像を造ったのだ」 |
モン太 |
「じゃ先生、ウサ子のような女の人を造ったのかな」 |
禁多浪先生 |
「モン太君、バッチリだ。昔の人も女の人が好きだったと言えるかな。特に母性を尊んだ。先祖代々、子孫繁栄のために子を産み育てる母、つまり、女性は女神として崇められていたのだよ」 |
コン助 |
「母と言えば、ねんねんころりよ、おころりよ・・・あの子守唄を思い出すなあ」 |
モン太 |
「そうだ!パイパイパイのオッパイもつけて、女性の裸像を造ったのかなあ」 |
禁多浪先生 |
「そう言えばモン太君は甘えん坊だったらしいから、いつまでもお母さんのオッパイを飲んでいたのだろう」 |
モン太 |
「エヘヘ、先生、ご名答。おいらの母親はいつも裸で、木の上に上っていたから・・・小さい頃から、母親の胸やお腹やお尻は見慣れていたよ」 |
禁多浪先生 |
「モン太君、いいところをついてきたね。つまり、女性の土偶は女神像と呼ばれ、胸部、腹部、臀部を大きく膨らませ、女性の特徴を強調して造ったのだ」 |
モン太 |
「ヘエー、昔の人なのに、すごいアーチストなんだなあ」 |
禁多浪先生 |
「見たければ、博物館に行けばいいよ。長野県には1986年棚畑遺跡から発見された『縄文のビーナス』や、中ツ原遺跡の『仮面の女神』があるよ」 |
ワン郎 |
「完全なものって少ないんですか」 |
禁多浪先生 |
「そうだよ。『仮面の女神』の他は、山形県西の前遺跡の八頭身美女、『縄文の女神』と呼ばれるものがあるぐらいだよ。これは山形県立博物館へ行けば、見ることができるよ」 |
モン太 |
「おいらは裸像が見たい、おいらにも造れるかなあ」 |
禁多浪先生 |
「いや、それはたとえいびつなものでも、縄文時代の人が造ったものだから、かけがえのない貴重な遺産なのだよ」 |
モン太 |
「フーン、成程ね」 |
◎その5 |
禁多浪先生 |
「じゃ次に、こういった土偶をなぜ、何のために造ったのかを考えてみたい」 |
クマ吉 |
「先生、土偶の材料って土、つまり、粘土ですね。早くいえば、楽焼みたいなものかなあ」 |
禁多浪先生 |
「そうだよ。工程は同じだよ。しかし、造り方はまず1つ、最初から全体像を造り始めるものと、もう一つは頭や胸、手や足などの部分を造り、最後に繋ぎ合わせるタイプがあったのだ」 |
コン助 |
「小さいものというと、お守りがあったとか。僕らの稲荷神社にもお守りがあるから、その頃の人だって家内安全、無病息災、五穀豊穣を祈ったのに違いないと思うけどなあ」 |
禁多浪先生 |
「That's right! いつの時代も人間は平和で安泰に暮らしたいからね。女の人は安産祈願、猟師たちは大漁を願い、農耕する人は豊穣を祈り、病気の人は治癒を祈っただろう。母なる女神像の土偶を家の守り神として毎日、拝んでいた」 |
ウサ子 |
「先生、自分の将来の夢も祈っていいのですか」 |
禁多浪先生 |
「もちろん、大願成就するようにね。要するに、土偶の最大のポイントは生命の再生にあったのだ。死者や土偶をあちこちばらばらに埋めて、そこからまた新しい命が生まれてくると考えていたのだ」 |
ウサ子 |
「昔の人って本当に偉かったと思うわ。自然と共存して生き、それらを崇拝し、命を大切にし、信仰心も篤く、命の再生まで考えていたとは感心しちゃうわ」 |
禁多浪先生 |
「今に生きる私たちも縄文時代の人達を見習わなくちゃね」 |
モン太 |
「ところで先生、3つの女神像の絵を簡単でいいから、書いてもらえませんか。大体下絵を見てから、実物を見に行くことにしたいんだ」 |
コン助 |
「ぼくらも行きたいさ」 |
禁多浪先生 |
「それじゃ、暖かくなったらみんなで見に行こうか |
一同 |
「わーい、やったあ」 |