さて「ing.先生と落語でジョー句」、前回大好評につき、今回はその続編です。
まず一番手に登場いただいたのが江戸の若旦那。世間知らずのお人好し、人がいいのはわかるが頼りないことこの上ない。あるいは、親不孝の遊び好きで勘当されても反省の色もなし。それでいてどこか憎めない。
この「どこか憎めない」というのがミソ。落語に登場するのは若旦那にかぎらず、職人や御隠居、商家の主や番頭、ときには泥棒や幽霊でさえ、みな一癖も二癖もありながら「どこか憎めない」人物ばかりだ。だからこそ気楽に笑えて、また何度きいても飽きないということになるのだろう。
くどくどと前置きを並べるより、早速その世界を覗いてみよう。
今回もあえてサゲ(落ち)まで紹介しないので、寄席に足を運ぶ余裕がなければCD等でぜひ通して聴いてみて下さい。
退屈の美学究めてあくび指南
五代目古今亭志ん生『あくび指南』
八代目桂米朝『あくびの稽古』
東京落語は「あくび指南」、上方では「あくびの稽古」というようだが、噺(はなし)の内容は同じ。
稽古事の大好きなある男、何にでも興味を持って手を出すが、不器用で長続きしたためしがない。近所に「あくび指南所」ができたというので、いやがる友人を無理やり誘って訪れる。
わざわざあくびを習おうなどという人間がそう何人もいようはずがなく、この男が弟子入り第1号。友人は「お連れさんも中に」と声をかけられるが、入口から体半分入れかけたまま。あくびは元は茶の湯から発生したとか、禅の精神だとか言いながら大真面目にあくびを繰り返すふしぎな師弟を呆れて眺めている……。
竹に花咲いてあわてて藪医者へ
六代目三遊亭圓生『夏の医者』
「先生、うちの竹にやたら花が咲くんですが、竹に花が咲くと枯れるというから、ちょっくら診てくだせえ」
「おいおい、何を言うか。竹なら植木屋に行きなさい。私は医者だ」
「え? 先生は薮医者と伺ったんですが……」
ここまでは枕。
ある村に病人が出たが、あいにく医者がいない。今でいう無医村。20キロ余りも離れた隣村まで、息子は山裾を大きく回って医者を呼びに行く。ところが着いてみると、患者どころか医者の姿もない。探しながら庭に抜けると、先生は下帯一つで野菜の手入れの真っ最中。
のんびり構える先生をせきたてる若者は気が気ではないが、医者のほうは山越えの近道を知っているからと余裕たっぷり。峠で一服しながら野菜の出来具合など世間話をしていると、突然あたりが一変!
峠に住みついているウワバミが2人を一息に呑み込んでしまったのだ。ウワバミの腹の中でもこの先生、慌てず騒がずある奇策を思いつく……。
口説くならもみじを落とせ竜田川
五代目柳家小さん『ちはやぶる』
「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは」百人一首でおなじみのこの歌は、中学高校生なら学校でも習っているだろう。
秋になると、竜田川は水に落ちて流れる紅葉でくくり染めにしたようになる。そんな話は神代の昔でも聞いたことがないというのが大意。
昔から紅葉の名所として有名な竜田川なのだが、知らないということほど恐ろしいものはない。幼い我が子から歌の意味をきかれた親父さん、親の威厳を保つために知らぬとは言えず、「昔、相撲取りの竜田川が千早という芸者に言い寄るがフラれてしまって」と始める……。
元犬は手に下駄履いてお里知れ
八代目春風亭柳枝『元犬(もといぬ)』
えー、昔は「小林、中村、犬の糞」と言ったくらい街中いたるところ犬の糞だらけでした。というのは飼い主のモラルの問題ではなく、犬は放し飼いが当たり前、野良犬も所かまわずうろついていたから。
浅草八幡様の境内に1匹の白犬が住み着いていた。近所の人や参詣人に「シロやシロや」と可愛いがられて大変な人気者。
当時は「白犬はもっとも人間に近い」という俗説があり、皆から「シロや、今度生まれ変わるときには人間になるのだよ」と言われているうち、白犬もすっかりその気になってしまった。
「だが待てよ。生まれ変わったのでは、いっぺん死ななきゃならない。それでは本当に犬から人間になったかどうかわからないじゃないか」
それじゃつまらん、なんとか生きているうちに人間にと、八幡様に願掛けをすることにした。
三七、二十一日の「裸足参り」が効を奏して、白犬はみごと1人の若者に変身。裸でいるところに偶然通りかかった顔見知りの桂庵(口入れ屋、人材斡旋業)の旦那に訳を話して力になってもらう……。
悋気の釘一尺五寸で打ち止めに
八代目桂文楽『悋気の火の玉』
悋気(りんき)。今でいう嫉妬、焼きもち、ジェラシー。
現代の日本は厳然とした一夫一婦制だが、昔の殿様や大店の主ともなれば、本妻の他に妾の1人や2人いても不思議はなかった。
不思議はなかったと言っても、収まらないのが女の胸の内。「男なら仕事ができて、きちんと生活の面倒さえみてくれるならどうぞお好きに」と腹をくくれるような「できた」ご婦人はごく稀で、たいていは激しく嫉妬の火花を散らし合うのが世の常。
浅草花川戸の鼻緒問屋の旦那は、未だかつて女房より他に女を知らぬという超堅物。あるとき商家の付き合いで、断りきれずに行った吉原の遊びが意外に面白かった。2度3度と重ねるうちに「こんなことを続けていては身代がもたない」と、商人だけに算盤勘定。そこで、身請けした女に婆やと狆(ちん)を1匹つけて、根岸の里に1軒の妾宅を構えることにした。
これが本妻に知れるところとなったからたまらない。女房の嫉妬に辟易した旦那は、いっそう根岸の妾宅に足繁く通うようになり、次第に本宅には寄りつかなくなる。
本妻は「根岸の女憎し」のあまり、夜な夜な藁人形に5寸釘を打ち始める。これを知ったお妾さんも黙ってはいない。根が気の強い女だから「5寸釘だって?! いまいましい! 6寸釘を買っておいで!」と、こちらも夜毎にカチーン、カチーン!
これを聞いた本妻は「6寸釘だって?! 生意気な! 7寸釘を買っておいで!」カチーン、カチーン!
これを聞いたお妾さんは……と激しく火花はエスカレートしていくばかり。
本妻の一念が天に通じたのか、ある日とうとうお妾さんが息を引き取った。だけでなく、同じ日、同じ時刻にお妾さんの一念が天に通じて本妻も息を引き取ってしまった。
で、話はこれで終わらない。
夜になると、花川戸の本宅の裏からボッと火の玉が燃え上がったかと思うと、根岸の里をめがけてふわふわふわ……。同時に、根岸の里の妾宅からもボッと火の玉が燃え上がり……。 |