e講座へようこそ!
今回はing.先生おなじみのジョー句で、古典落語の世界に遊ぼう。俳句でも川柳でもない「ジョー句」はing.先生の造語で、とにかく575のリズムになっていればなんでもOKと、文字通り冗談みたいなもの。だから改めて拙句などと卑下するまでもなく、堂々とing.先生自作のジョー句で古典落語を紹介しちゃおうというわけ。
古典落語には、江戸の街に生きるさまざまな個性の人物が登場する。長屋の熊さん八つぁん、知ったかぶりの御隠居、勘当された若旦那、ドジで間抜けな泥棒……欠点、弱点だらけだが、どこか憎めない、そんな人間たちが彩る世界だ。
今回は「若旦那」が主役に登場する噺に絞ってみた。
江戸の街の大店(おおだな)には苦労知らずの若旦那がつきもの。箱入り娘顔負けの世間知らずで、一目惚れの娘に恋患いして寝付いてしまう若旦那、茶屋遊びにハマって勘当される若旦那などがよくあるパターン。
落語と言えば「落ち」。最後の下げの部分が要になるが、古典落語では時代が異なるために落ちの意味がわかりにくいことがある。そんな噺では導入部にあたる「枕」の部分で、落ちを聞いた時に意味がわかるように、さりげなく解説を入れておくこともある。
今回のe講座では、あえて落ちまで紹介しない。ジョー句と解説を読んで「おもしろそう!」と興味をもった読者は、ぜひ本物の芸に接してほしい。
寄席に足を運んで大笑いするのもよし、またCDやDVDで昭和の名人たちの絶妙の芸を堪能するのもまた味わい深い。
紹介したそれぞれの噺には、CDなどで聴ける落語家を一人ずつ挙げておいたので参考にして下さい。
では始まり始まり…♪…♪…♪
降る雪や行方わからぬ恋の路
五代目古今亭志ん生『雪とん』
大川沿いの船宿に逗留中の若旦那。小町娘に一目惚れ、恋患いで寝込んでしまうが、娘は男嫌いとわかり、せめて盃一つを記念にもらって田舎に帰ろうと諦める。
船宿の女将(おかみ)に手引きしてもらった約束の日は生憎の大雪。ここと思う家の黒塀をとんとんと叩いても、返事がない。隣から隣へと、とんとん、とんとん……と、しまいには雪だるまのようになって塀を叩き続けるが……。
勘当の若旦那二階に寄生中
十代目桂文治『湯屋番』
三遊亭好楽『紙屑屋』
現代ならパラサイト、訳せば寄生虫。成人してもちゃっかり親の家に居座り、重症の場合はニート、引きこもり……と笑えない話だが、落語に出てくる道楽者の若旦那は、家を追い出されてもへっちゃら。親の家がだめなら、他人の家でも寄生してしまおうというお気楽さだ。
寄生虫といえば、古くは寸白(すばく)というサナダムシなんかをさす呼び方があったらしいが、そこは風流も人情の機微もわきまえた昔の人。そんなロコツな呼び名でなく「居候(いそうろう)」という洒落た言葉をあてた。
芸者遊び、吉原通いにうつつを抜かし、再三の親の意見にも耳を貸さず、老舗の身代もつぶす勢いで道楽に溺れた揚げ句に、親類一同集まって会議の末、「久離を切って勘当」というのがお定まりのコース。「キュウリを切って」と言っても、べつに胡瓜を切る儀式ではない。親子、親戚の縁を切るから、家から出て行けという最終通告だ。そこで初めて若旦那は世間の冷たい風に晒されることになるのだが、たいていは、親の家に出入りしている職人や、昔、若旦那の父親に世話になったとかいう人たちが拾ってくれて、二階に厄介、足して「十階」の身の上の居候となる。
そうなると黙っていないのがおかみさん。いつまでも何もせずぶらぶらしている若旦那に業を煮やし、
「あのイソ公なんとかしてよ!」
と雷一発。亭主は若旦那を働かせることにするが、何をやらせても遊び気分が抜けない。風呂屋の番台に上がれば、粋な女湯の客に惚れられる場面を妄想して一人芝居。紙屑の分別作業をやらせれば、隣から流れてくる三味線に合わせて踊り出す……。
四度目で仏を超える親心
三代目桂三木助『火事息子』
ことわざでは「仏の顔も三度まで」というけれど、何度裏切られても子を捨てきれないのが親心。
昔から「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるが、老舗の質屋の跡取り息子に生まれた若旦那は、子どもの頃から火事が大好き。火事を知らせる鐘の音が聞こえると居ても立ってもいられなくなる。とうとう商売そっちのけで、火消し人足(臥煙:がえん)の仲間に入ってしまう。
ある火事の夜、大旦那の命じるまま土蔵の目塗りに登った番頭は、算盤勘定は得意でも高い所は大の苦手。大旦那は下でやきもきするが、梯子にしがみついたまま手も足も出ない。そこへ、屋根から屋根へと疾風(はやて)のように飛び移り、人間技とは思えない身のこなしで駆けつけた臥煙に助けられる。
火事も無事収まり、大旦那は礼を言おうと臥煙を呼ぶが、それは数年前に勘当した若旦那で……。
唐茄子の売れて嬉しや若旦那
五代目古今亭志ん生『唐茄子屋政談』
道楽の揚げ句に例によって勘当を言い渡された若旦那。「お天道様と米の飯はついてまわるさ。さいなら♪」と気楽に家を出て行く。あてにしていた女たちの元に転がりこむが、どこでも無一文になった若旦那なんかを本気で世話をしてくれるはずがない。せいぜい2、3日泊めてもらっただけで、体よく追い出される。
お天道様はついてまわっても米の飯に見放された若旦那は、空腹のあまり吾妻橋から身を投げようとするが、欄干に手をかけたところで、偶然通りかかった叔父さんに助けられる。叔父さんは親に内緒で引き取ってやるが、食う分は自分で稼げと、天秤棒を担いで唐茄子すなわちカボチャを売るように命じる。
箸より重い物を持ったことのない若旦那は、よろよろとカボチャの荷を担いで歩くが、ついに炎天下で倒れこんでしまう……。 |