禁多浪先生 |
「みなさん、笑門来福。今年は大いに笑って愉快に暮す一年にしたいね。そこで採り上げたのが、睡眠中の人も目覚めて笑い転げたという、江戸時代に書かれた『醒睡笑(せいすいしょう)』。これは1623年(元和9年)安楽庵策伝(あんらくあんさくでん=1554~1642 )とされている。ところで、当時彼の書いた笑話は文学の類に入れられなかったのだが、クマ吉君、なぜだと思うかね」
|
クマ吉 |
「はい、この頃の文学作品は滑稽本、洒落本、黄表紙、それに西鶴の好色ものなんかだが、娯楽といえば、今みたいにテレビもゲームも映画もないんだから、そりゃ、面白い笑話には庶民が飛びついたのも当然だ。『醒睡笑』のように笑いだけをとりあげた話って読みやすいし、とっつきやすい。しかし、笑うことはふざけているようにもみえる。正式な場で笑っていれば、礼儀知らずとも思われる。つまり、笑うことは、卑猥、下品、低俗などと言われた。おまけに笑いはその場だけの瞬時的な性質を持っているので、未来までも生き残るようなものではないとみられていた。だから、伝統的で歴とした文学の仲間には入れてもらえなかったんだ。ねえ、そうでしょう、先生」 |
禁多浪先生 |
「そうだ、さすがにみんなの先輩クマ吉君だ、よく知っとるな。作者、安楽庵は京都の中京区にある誓願寺のご住職で、日常生活の中で起こった面白い話を書き留めていて、それが沢山たまったそうである。それをまとめたのが『醒酔笑』で、後には滑稽本の仲間に入れられ、今じゃ、落語の原型とまで言われているんだよ」 |
コン助 |
「落語か、おいら、大好きだ。この世の中、苦しいことや悩みばかりじゃ生きていけんよ。夢を見て、笑いを吐き出していくのが楽しい生き方よ」 |
うさ子 |
「コン助君、笑いを吐き出してなんて汚いこと言わないで。笑い話には話し手に対して受け手がいるわね。面白かったら当然笑うけど、笑い方もいろいろあるわ。〈あはは、いひひ、うふふ、えへへ、おほほ〉など。コン助君だと、〈がははは〉かしら。モン太君はさしずめ〈ういひっひい〉ね」 |
モン太 |
「言ったな。それなら、うさ子、この質問に答えられるかな。答えられなかったら、バナナは2本とも俺様が頂くぜ」
|
うさ子 |
「なんなりとご質問を。わたしの知らないことはないわ。おほほほ」 |
モン太 |
「それじゃ、作者の安楽庵さんは隠居してから何処に行って、何をしていたか、わかる?わからない? わかったらわかったと言わなきゃ、わかったかわからないか、わからないも〜んね!」 |
うさ子 |
「わかったわよ。答えもわかったわ! 安楽庵さんは誓願寺の竹林院に隠居し、そこに『安楽庵』というお茶室を建て、余生を送ったのよ。そこでその当時の文化人と呼ばれるような人と交流したんだって。彼はその後、笑話集だけじゃなくて和歌や狂歌なんかも作ったと言われているのよ」
|
モン太 |
「こんちきしょう、知らないどころか、やけに詳しいじゃね〜か」 |
うさ子 |
「実はさ、わたしの叔母が京都に住んでるから、前にこの話、一度聞いたことがあったのよ。ちょうど、うまい具合でよかったわ。バナナはわたしのものよ!」 |
モン太 |
「きぃきぃきぃ、絶対、次回やっつけてやるからな」 |
うさ子 |
「あはは、うふふ、おほほ」 |
禁多浪先生 |
「うさ子君、君、よく知っていると思ったら、京都に親戚があって聞いていたんだね。それじゃ、わたしもついでに京都のことをもうちょっと詳しく教えようかな。この安楽庵策伝さんがおられた京都の誓願寺というのは浄土宗のお寺で、中京区の新京極にあるんだよ。塔頭(たっちゅう)竹林院というのは、今はもうないらしいんだ。新京極っていうと、修学旅行をしたら大体は行くコースになっていて、みんな、おなじみの場所だね。『醒睡笑』の本は、今は、絵本みたいな体裁にしたものが出版されているらしいよ。安楽庵さんはよく自然を観察して、『鳥が何やら落していったよ』とか、面白いことを言うのが普段から好きだったらしい。つまり、ユーモアのある人だったんだよ」 |
ワン郎 |
「なるほどね。ユーモアは人柄の表れだから。語源的にも、人間性(ヒューマ二ティ)の発露なんだね。外国の人はとかく日本人よりもユーモアが得意のようだ。自分の言ったジョークに、笑った人は仲間と見るが、笑わない人はそうは見ない。そう考えると、笑いは犬が糞するみたいに、日常欠かせないものなんだよ」 |
禁多浪先生 |
「あははは、おまえさんの糞かい。そうだね。わたしゃ、決して馬鹿にした笑い(=嘲笑)はしてないよ。〈あはは〉と言うのは朗笑で、面白かったときの純粋な笑いだよ。その他、へつらった追従笑い〈えへへへ〉もあるし、上品な〈おほほ、うふふ〉もあるしね。ところで、さっきうさ子君が言っていた以外に、他に知ってることはあるかね」 |
コン助 |
「この安楽庵和尚はつれづれなるままにたくさん書き集めたので、それが笑話集に集大成したと言われている。一つ一つが短い小話になっているよ。娯楽も少ない時代だからこそ、庶民からいろんな階級の人に面白がられて読まれたそうだ」 |
モン太 |
「江戸時代と言えば、近松門左衛門さん(1653〜1724)も欠かせない。あの人は〈虚実皮膜論〉ということを唱えていたよね。『芸の妙味は、嘘と真(まこと)の間にこそある』と言っている。そこに面白い話がサンドイッチになっているんだね。それじゃ、うさ子、笑話は嘘か、真か、どちらのほうがより面白いか、答えてもらおう」 |
コン助 |
「つまり、フィクションは面白いし罪がない。初めから、嘘話(作り話)とわかっているから、誰にも迷惑かけないですむってことよ。モン太、もう、うさ子をいじめるのはよしたまえ」 |
モン太 |
「別に、いじめてるって訳じゃないけどさ。質問責めにしてやりたくて。さっきの仕返しをしてやろうと思ってね。ういっひっひい」 |
禁多浪先生 |
「喧嘩はやめなさい。今年の目標は何だったかな。みんなで一緒に、はい、どうぞ!」 |
一同 |
「笑門来福(=笑フ門ニハ福来ル) 」 |
禁多浪先生 |
「それじゃ、『醒睡笑』の原文を一つ紹介して、終わりとしよう。みんな、お疲れさん」
「童(わらんべ)は風の子」と知る知らずにいふは何事ぞ。夫婦の間の子なればなり。
そのココロは、
「子供は風の子」というが、知っていても知らなくてもそう言うのはどうした訳か。
____夫婦の間の子だからである。(フーフーは風の音)
もしそうでなかったら、笑い話では済まなくなりますね・・・ |