高校の古文の授業といったら、世間一般に退屈きわまりなくて眠くなるものと相場が決まっている。何が書いてあるかチンプンカンプンだし、活用ばっかり毎度毎度唱えさせられて、あれで古文嫌いになったという人も多いんじゃないかな。確かに、「シセサシ…、コキクルクル…」でいつまでたっても出口なしじゃ、一体何のため?てうんざりしてくるよね。
ここで初めに断わっておくと、文法の暗記は入試のためにはあながち意味のないことではない。
古文の文章は概ね例外なく、文法のお約束事通りに書かれているから、ルールをあらかじめ覚えてさえしまえば、解釈も自ずと絞られていき、意味をつかむ上で大変有効ということではあるんだ。
そこで学校の先生は、猫も杓子も文法を覚えさすことにやたらしゃかりきになる訳なんだけど、そもそも興味が湧かなきゃいくらやっても楽しくないから、受験が終わったら古文なんて永久にさらばだと思ったとしても、それは決して君たちに問題があるのではない。古文がわくわくする程、誘惑と快楽に満ちた摩訶不思議な世界であることを、たまたま教えてもらえなかったのが身の不運だったというだけだ。
本当の古文の魅力とは、深く知れば知るほどインモラルで不謹慎極まりなく、こんなの中高生が勉強していいの?やっぱ学校じゃ教えられないよなっていうのばっかり!
そんな大人の世界を垣間見て、これから深まってゆく男女間の恋愛遊戯や駆け引きにいざという時の備えをしておけば、いつ何があっても慌てず騒がず「クール」に対処できる。
平安貴族の「 あてなる(=優雅な)」恋のさやあてから、平成版ボーイミーツガールの世界に一足飛びに応用しちゃえるのも、すこぶるつきに尤もな話。人類がどう進化しようとも、古今東西そもそも男と女のやることは一緒で、歴史を動かしてきたのもすべてそうした欲動が根底にあってのものだから。
では早速、恋愛の古典的手引書ともいうべき『伊勢物語』を繙きつつ、雅(みやび)な「色好み」のあれこれを、とくとご覧じ遊ばせ候。
三人の息子がいる年増女が、色気づいて何とかして「心なさけ」ある男と情を交わしたいと、作りごとの夢語りをする。上の二人はつれなかったが、末の息子は母親思いで、在五中将に逢わせてやりたいと思って手引きをすると、(中将は)気の毒に思ってやってきて寝たのだった。その後、姿を見せなかったので、女が男の家に行き覗き見るのを、男はチラッと見て、
百年(ももとせ)に一年(ひととせ)たらぬつくも髪我を恋ふらしおもかげに見ゆ
( 百歳に一歳足りない老いさらばえた髪<=九十九髪>の女が、私を恋い慕っているらしい。面影に見える )
と出ていくのを見て、女は茨やからたちの刺に引っ掛かり、家に帰って伏せってしまう。男は、女がしたようにこっそり見ると、女は嘆いて寝ると言って、
さむしろに衣かたしき今宵もや恋しきひとにあはでのみ寝む
( 狭い筵に自分の分の衣一枚だけを敷いて、今晩も恋しい人に逢わないでただ一人寝るばかりなのだろうか )
と詠んだのを、男はかわいそうに思って、その夜は共に寝たのだった。
この話は、最後に筆者が
世の中の例(ためし)として、思ふをば思ひ、思はぬをば思はぬものを、この人は、思ふをも、思はぬをも、けぢめ見せぬ心なむありける。
と結んで、男が思い人も恋情のない相手も、「見境なしの心映え」であることを皮肉っているが、女が詠んだ「さむしろに…」の歌は、
古今集恋四「さむしろに衣かたしきこよひもや我をまつらむ宇治の橋姫( 詠人不知 )」
からの本歌取りである。
ポイントはつまり、つくも髪は誇張表現にせよ、それだけ年をとっても古典的教養と一途な気持ち次第で、天下に名高い色男でもなびくということ。若さを失ってからの方が、むしろ色恋の世界は深いのかもしれない。
次の舞台は『十訓抄』から。ここでの色男は左遷された後、召し返された大臣(おとど)。かつては女房のいる入会(いりあい)に入ることが許されていたのに、今はそれもままならぬ立場。そこで、恋仲にあった女房が御簾(みす)の中より扇を差し出してよこしたのを見ると、
雲の上はありし昔に変はらねど見し玉簾(たまだれ)の内やゆかしき
( 宮中は以前あなたが通った昔と変わらないけれど、あなたが見た御簾の中が今も見たいですか )
この時代「見る」「逢ふ」というのは、男女が情を交わすこと。「隔て」の御簾をおし開けて、手を伸ばせば届く範囲に男女がおかれたら、必然的に絶対「事」は成立するのである。
つまり、この歌は ( わたしとまたねんごろになりたくはない?) と女の方から誘いをかけているのである。言われた男の方としては、こんな場合どうしたら?
ところがここで、邪魔が入った。2人で密会しかけた現場に、闖入者あり。
そこで男は、慌てて傍にあった火かき棒で、女からの和歌中「玉簾の内やゆかしき」の「や」の字を消して、傍に「ぞ」文字だけを書いて返歌とする。
するとどうなるかというと、
雲の上はありし昔に変はらねど見し玉簾の内ぞゆかしき
そのココロは、古文の基礎文法「係り結びの法則」に照らすと、「や」はここでは疑問だから、女が誘惑的に男の心の内を問い質したのに対し、男は強調の「ぞ」で応じることによって、「そりゃあ見たいですとも」と渡りに船とばかりに、色よい返事をしたことになる。
「据え膳食わぬは…」でなくとも、男なら誰しもとる態度であろうが、そこは平安貴族の面目躍如たるところ。人に見つかったら再びお咎めも免れないような状況であっても、咄嗟に機転を働かして、当意即妙の<返し>ができるのが、恋愛の達人級といわれる所以なのだ。
『伊勢物語』の舞台は平安、「昔男」として登場する実在の貴族、在原業平がモデルであるとされる。業平は当代きっての性豪で、3733人の女性と関係を結んだという。『伊勢物語』は特にその中から際立った12人の女人を選び出し、和歌を中心に織りなされたエピソードを綴った、わが国初の「歌物語」である。章段中には、美女伝説・老残伝説で名高い、小野小町との掛け合いも登場する。プレイボーイとしての「昔男」の人物造形は、後の『源氏物語』<光源氏>や『好色一代男』<世之介>等に受け継がれていく。
日本人は、古代においては原初的かつおおらかな性を尊び、貴族社会になると、和歌や技巧を駆使した遊戯的な恋愛が盛んになった。時代が下り武家制度の下では、身分の制約やタブーが却って恋情に火を注ぎ、<道行>や<心中>などの悲恋を生む土壌となった。
近代のキリスト教文化の移入により、一夫一婦制やラヴ・イデオロギーが確立されたかにみえるが、元来日本における「結婚」の形態は、家制度や長子制を存続させるために機能したものでしかなく、婚外婚・夜這い・遊郭や契約婚に名を変えたものが、縷縷営営と跋扈(ばっこ)している。
恋をし、性の営みをもち、子孫を残す。あるいはこの世に生まれた喜びや証としたいというのは、万人共通の願いであるが、わけても日本人は、そうした情動を和歌や日記という一人称の形式で書きとめる文学において、世界に類を見ない程の寄与を果たした。
そこには、和歌や日記文学の出発点において、書き手である恋の担い手が女流、もしくは女性的な文化を享受できる貴族であったことに、たまさかの僥倖があったと言えるのではないか。
生活の実際や経済に直截かかずらわなくていい立場だと、「つれづれなる」時間、自己の内面とそれだけ深く切実に向き合うことになる。状況は異なるが、戦争の渦中に文学者が表現手段を日記に求めた結果、個人の断片的記録以上の、歴史的意味を持つ秀作がたくさん生み出されたことも、併せて思い出されよう。
学生諸君は、親がかりであるので、物質的な欲望を十分満たすのは今のところ難しい。手当たり次第に異性をとっかえひっかえできるほど超モテモテの人も、そんなにはいないだろう。
さしあたり若者の特権は、時間が無限にあること。今現在自分のために使える時間も、人生の残り時間も。本当は有限であっても、意識しないでいられるのは、若いうちだけ。
古文の悠長な文章に身を浸し、辞書と首っ引きに訳してみたら、そこは大人が18禁にしているような、生々しくどろどろしたエロスの世界があった、なんて発見ができたら面白いじゃないか。
色恋も一筋縄ではいかないのが常で、レッスンや経験値、それにもまして何度修羅場をくぐろうとも、初めてと同じ「ときめき」を失わない感性のみずみずしさがものをいう。
今回紹介したのは数ある古文のほんの端緒にすぎず、『伊勢物語』の中でもまた他の作品中でも、学校では決して扱えないようなキワドク色っぽい話は、枚挙に暇がない。
さあ、古典の扉を開いて、平成ワールドをより楽しむため、さまざまな実人生に応用してみよう。 |