今日のテーマは「オノマトペ」です。オノマトペとはギリシャ語のonomatopiiaを由来とするフランス語の「オノマトペ」、日本語では「擬音語・擬態語」として知られている言葉のことです。擬音語・擬態語という言葉は知らなくても、犬の鳴き声を表す「ワンワン」や、雨の降る音を表す「ザーザー」「ポツポツ」、落ち着かないしぐさをあらわす「そわそわ」「きょろきょろ」などの表現を知らない日本人はいないと思います。
擬音語とは、物が発する音を言葉で表したものです。そのうち、人や動物が出す音に由来するものを特に擬声語と言う場合もあります。先にあげた「ワンワン」や、猫の「ニャーニャー」、鶏の「コケコッコー」、蝉の「ミーンミーン」「オーシンツクツク」なんていうのも擬声語ですね。それ以外の音声を表した擬音語の中には、鐘がゴーンとなる、風がそよそよとふく、水がちょろちょろ流れる、などがあります。これらの自然音は、民族や文化によって、聞きとり方が異なるというのはよく知られていることです。たとえば、犬の鳴き声は日本人は「ワンワン」と聞いていますが、英語を話す人たちは「バウワウ」と聞いています。ドイツ語では「ヴァウヴァウ」、中国語では「ウーウー」、韓国語では「モンモン」と鳴くそうです。
擬態語とは、音を発しない物事の動作や状態、心情などを音で効果的に表したものです。たとえば太陽が「ギラギラ」輝く、うれしくて「ニコニコ」笑う、若い娘たちの「すべすべの」お肌、赤ちゃんが「すくすくと」育つ、物事がうまくいかなくて「いらいら」する、などです。
なーんだ、こういうのだったらいくらでもあげられるよ、と、日本人であればすぐにわかってもらえる言葉たち。それが「オノマトペ」なのです。
こういった表現は私たちが普段何気なく使っているものですが、非常に「日本語的な」ものだということを知っていましたか? 世界には数千もの言語があると言われていますが、その中でも日本語はオノマトペが特に多い言語として知られています。これは日本語のもつ音節の少なさに由来すると一般には考えられているようです。日本語には母音が5音しかなく、音節の数も全部で112と非常に限られている。その限られた音節を使って「きらきら」とか「ゆらゆら」など同音を反復したり、促音を付けて「きらっ」「ゆらっ」としてみたり、最後に「ん」や「り」をつけて「きらん」「ゆらん」「きらり」「ゆらり」としてみたり、「めく」などの接尾語を付けて「きらめく」「ゆらめく」と動詞を作ってみたりと、様々な表現のバリエーションを生み出してきました。
私がオノマトペに興味を持ったのは、英語を勉強していたことがきっかけでした。外国に旅行してみて初めて日本という国や日本人の性質や特徴が見えてくるということはよくあります。それと同じで、外国語を勉強していると、外国語との比較の中で日本語の持つ特徴を実感するということがあるのです。私は数ある外国語の中でもきちんと勉強したのは英語のみですし、生徒の皆さんもほとんどが外国語として英語を勉強しているでしょうから、ここでは英語と日本語との比較を中心に考えてみます。
英語を勉強し始めて、私たちが最初に感じるのが「英語ってとても細かい」ということではないでしょうか。名詞の数は単数なのか複数なのか特定しないといけない、主語や目的語は必ず言わなければならない、動詞は現在なのか過去なのか未来なのか過去から現在までつながっているのかはっきりさせなければならない・・・。なんて面倒くさいんだろう、と感じた人も多いはずです。逆に言うと、英語ではそれだけ物事が明確に表現されるということです。誰が聞いても何のことかぱっとわかる。それは言語自体がそのように出来ているのです。
対して日本語ではどうでしょうか。主語や目的語は省略することのほうが多く、文脈で判断する。形容詞や副詞はどの語がどの語を修飾するのか一定ではなく、文脈で判断する。動詞の時制は特定されず、文脈で判断する・・・。要するに、お互いの「あうんの呼吸」で理解しあってしまう部分がとても多いのです。アメリカで日本人や日本語の特徴について講演をしていたある先生が、「英語では“私たちは今パーティーに行きましょうか?”“ええ、私たちは行きましょう”と言わなければならないところを、日本語では“行く?”“行く”だけでわかってしまいます。日本人は何でも知っているのです」と説明して笑いをとっていたのを思い出します。
オノマトペは、こういった日本人ならではの「なんとなく通じてしまう」表現の象徴的なものだと思います。たとえば「ゆらゆら」と「よろよろ」と「よれよれ」の3つのオノマトペを考えてみましょう。どれも2音節の反復表現であり、2音節中の第1音はヤ行、第2音はラ行で、異なるのは母音の組み合わせのみです。そういう意味ではこの3つのオノマトペは構造上は似通っていると言えるでしょう。しかし、表現するニュアンスや使われるシチュエーションはそれぞれに異なります。「ゆらゆら」は物がゆるやかに繰り返し揺れ動く様を表します。「湯気がゆらゆらと立ち上る」「船が波にゆらゆらと揺れる」など、水や光や影のようなものを連想させ、どちらかというとポジティブな語感があると思います。「よろよろ」はバランスを崩して不安定に動く様を表します。酔っぱらってよろよろ歩く、自転車がよろよろ走る、などです。「よれよれ」は服や髪などが張りを失って形が崩れている様や、そのような状態の服や髪などのように人が疲れきった様を表します。よれよれのシャツ、徹夜続きでもうよれよれだ、など。「よろよろ」「よれよれ」はどちらかというとネガティブな語感があるようです。
さて、外国人が日本語を習っていたとして、この3つのオノマトペを見たとき、その語感が容易に理解できるものでしょうか。私は難しいのではないかと思います。「ゆらゆらってどういう意味?」「ゆらゆらってのはね・・・こう、ものが、ゆらゆらと揺れることだよ」これでは説明になりません。「なんていうのかな、こう、ゆらゆらとさあ・・・」としか説明できない、その感覚的な部分の表現を担うのがオノマトペなのです。「物がゆるやかに繰り返し揺れ動く様」と辞書的に説明したところで、「ゆらゆら」という音を発音するときに私たちの中に生じる独特の感覚を伝えたことにはなりませんし、そもそも「ゆるやかに」という言葉自体が「ゆるゆる」というオノマトペと同じ語源からつくられている言葉です。私たちは生まれてから今まで日本語を身につけていく中で、たくさんのオノマトペを使いこなし、それぞれの音の組み合わせがどういったニュアンスや気分を表すのか、ある意味、身体感覚に近い部分で獲得し、しかもそれをある程度共有しているのです。オノマトペは時代とともに変化していきますし、ある地方に特有の方言としてのオノマトペというものもあります。耳慣れない新しいオノマトペを聞いたとき、それでも「なんとなく」理解してしまえるのは、この音の感覚を共有しているからでしょう。英語は「誰がいつどのように何をどうした」という物事の概要を明確に伝えることが得意な言語ですが、日本語は、物事を認識し表現している人の感覚、気分を伝えることが得意な言語だと言えるかもしれません。
日本語におけるオノマトペの豊かさは近年、ますます注目されるようになってきていますし、それに関連した本もずいぶん出版されています。興味があったら、皆さんも身近なオノマトペを観察してみてはいかがでしょうか。日本語の豊かさ、日本人の感性の豊かさをそこから発見していけるかもしれませんよ。 |