今回は松尾芭蕉『奥の細道』およそ2000kmの旅を、クイズを解きながら一緒にたどってみましょう。
まず出発前にウォーミングアップ。
?芭蕉の出身地の上野は現在の( )です。
[東京都・群馬県・三重県・奈良県]
上野駅はもちろん東京都。「こうづけ」なら群馬県、でも芭蕉の生まれた「うえの」は今の三重県が正解!
?芭蕉は深川から終点の大垣までおよそ何か月で歩いたでしょうか?
〔 1・3・5・7・9・11 〕
「弥生も末の七日」つまり旧暦3月27日に、門弟の曾良とともに出発して,「長月六日」9月6日の記述で終わっています。つまり約「5か月」。これは雨などで足止めにならずに毎日歩いたとしても、1日に14km以上歩いた計算になります。
【深川】
有名な冒頭文「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり」は、古人( )の「ソレ天地ハ万物ノ逆旅(げきりょ)ニシテ光陰ハ百代ノ過客ナリ」という詩句によっています。
〔杜甫・李白・鴨長明・シェークスピア〕
唐の詩人杜甫か李白かで迷うところですが、「李白」が正解。
【日光】
あらたふと青葉若葉の日の光
日光はその昔(××)山と書いたのを空海が日光と改めたそうです。
〔二高・二孔・二荒・二幸・二香・二交〕
仏教の聖地フダラク山からとったフタラ山が「二荒」山になり、その音読みから日光山になったと言われています。また、日光山の開基は芭蕉の勘違いで、空海ではないそうです。
【雲岩寺】
芭蕉の参禅の師、仏頂和尚が山籠(やまごも)りした庵を訪ねた時の句。( )に鳥の名前を入れてみましょう。
(××××)も庵は破らず夏木立
嘴(くちばし)で木の幹に穴をあけ、建物を荒らす「きつつき」も、さすがに尊いこの庵は遠慮したのでしょう。
【黒羽】
野を横に馬引き向けよ(×××××)
昔からその声が珍重された夏の鳥といえば「ほととぎす」。「テッペンカケタカ」ほか、地方によっていろいろな聞きなしがあります。
【白河の関】
芭蕉たちが白河の関を越えるころは×××が雪のように真っ白に咲いていました。
(×××)をかざしに関の晴れ着かな 曾良
晴れ着は正装。「かざし」は髪ざしから来た語。古人は「冠を正し衣装を改め」て関を越えたというが、わたしにはそんな用意もないのでせめて「卯の花」を髪に飾って晴れ着としましょうという句です。
【須賀川】
風流の初めやおくの(××)うた
「白河の関いかに越えつるや」と問われた芭蕉は、奥州に入って耳にした農民の歌う素朴な「田植」歌が、この旅の最初の風流でしたよと、愛想よく応えたのでした。季節は夏です。
【飯塚の里】
古寺には義経の太刀(たち)、弁慶の笈(おい)が宝物として保存されてありました。端午の節句も間近です。
笈も太刀も(×)月にかざれ紙幟(かみのぼり)
端午の節句といえば「五」月。読みは「さつき」です。
【酒田〜市振(いちぶり)】
文月や六日も常の夜には似ず
荒海や佐渡に横たふ天の河
越後路でのニ句の季語は「文月」と「天の河」で季節は(×)です.
文月は7月。七夕の前夜はいつもの夜と違って華やいでいると詠んでいます。陰暦の七、八、九月は「秋」です。
【小松】
むざんなや甲(かぶと)の下のきりぎりす
きりぎりすとは現在の(××××)のことです。
現在のキリギリスの古名は「機織り(はたおり)」、ギ〜ッチョンという鳴き声に由来すると言われています。この句での「きりぎりす」は今の「コオロギ」。ややこしいですね!
【山中温泉】
??に秋の花を入れてみましょう。
山中や(?)は手折(たお)らぬ湯の匂い
行き行きてたふれ伏すとも(?)の原 曾良
この温泉は長寿の名湯で、同じく長寿延命の「?菊」を手折るには及ばないと詠んでいます。ところが曾良は腹の病気になり、芭蕉と別れて伊勢の親類に身を寄せることに……。季節は秋。病に倒れて死ぬことになるとしても「?萩」の咲く野原で……という意味。
【大垣】
大垣では曾良も伊勢からやってきて出迎え、みなが芭蕉の無事を喜びました。
大垣で一応『奥の細道』の旅は終わりましたが、芭蕉はまだ旅の疲れもとれないうちに、二見が浦(ふたみがうら)を見に行こうと新しい旅に心がひかれます。
(×)のふたみに別れ行く秋ぞ
「ふたみ」は二見が浦と、蛤(はまぐり)の蓋(ふた)と身をかけています。「蛤」の蓋と身が分かれるように、わたしもまた皆と別れていこうという意味です。
懐かしい人々と再会した喜びも束の間、憑かれたように新しい旅に立っていく芭蕉にとっては、まさに「人生そのものが旅」だったのでしょうね。
|