禁多浪先生 |
「皆さん、今日は『枕草子』の冒頭文から考えてみよう。『春はあけぼの…』について、まず熊助君から意見を述べてくれ給え |
熊助 |
「『春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎはすこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる…』えっへん、覚えていたぞ」 |
うさ子 |
「当たり前でしょ。そんなの誰でも知ってるわ。枕草子は清少納言が「をかし」の美意識で書いた作品よ。その頃は感動するような趣のある自然や風物があちこちで見られたんだわ。今と大違いよ」 |
コン太 |
「全くその通り。京都もあの頃から比べれば、ずいぶん変遷したよ。東山・西山・北山…と山に囲まれた盆地であることには変わりないが、当時の様子は、『白々と夜が明けてきて、峰近くの空が少し明るくなり、紫がかった雲が細くたなびいている…』何とすばらしい描写だ。今は自然破壊も進み、こんな情景はめったに見られないだろう。つまり、この頃は自然が生成りだったってことだ」 |
モン吉 |
「そんな山□水明の自然の中で住みたいなあ。今は東京から新幹線に乗れば、2時間半で京都に着けるなんて、あの時代の人が知ったら驚くだろうなあ」 |
うさ子 |
「清少納言もびっくり仰天ね。さて次は、夏の描写のところですね、禁多浪先生」 |
禁多浪先生 |
「うん、うさ子さん訳してくれ給え。原文はこうだ。『夏は夜。月のころはさらなり。闇もなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。』」 |
うさ子 |
「これは、『夏は夜がいい』と言ってるのね。そして、『ほたるがたくさん飛び交っているのも、真っ暗な中に一つ二つ光をともして飛ぶ様子も趣がある。そして雨の降るときもいい』と言ってるんだけど、今は蛍が京都の街にたくさん飛び交ってる姿など、ほとんど見られなくなったわ。どんなに美しかったでしょうね」 |
モン吉 |
「うさ子、ヒタってるね。今は、公害があちこちで起こってるから、川の様子も違ってるんだよ。ほとんどの川がコンクリートの堤防に変わったから、ほたるが卵を産み付ける場所がないってわけだ。人間がテクノロジーの方に目を向けてばかりいて、自然を顧みなかったつけが、こんなところにも現れているんだよ」 |
コン太 |
「全く仕様のない人間どもだ。では次は、秋のところに入ります、禁多浪先生」 |
禁多浪先生 |
「はい、じゃ、原文を読んでみよう。『秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端(は)いと近うなりたるに、烏(からす)の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音・虫の音(ね)など、はた言ふべきにあらず。』」 |
熊助 |
「『秋は夕暮れがいい』『夕日の中を烏が三々五々に飛んでいるのや、雁が群れ飛んでいるのが小さく見えるのや、日が沈んでから風の音が聞こえ、虫の音がするのは何とも言えないくらいよい』と言ってるね。こういう自然の風景は今も昔も変わらないけれど、何とも秋らしいものを並べたてたものだね」 |
うさ子 |
「ほんとにね。だけど、あの頃の京(みやこ)は瓦屋根が多かったから、こんな風景がよく似合ったと思うけれど、今はビルも多くなり、ちょっと似合わなくなったんじゃないかしら。それに車の数の多さや、騒音公害も昔はなかったことで、あの頃の澄みきった空気を吸ってみたいわ」 |
コン太 |
「おいしい空気においしい水は、いつの世になっても人間の健康にとっては欠かせないね。京都の加茂川の水もきれいだろうかなあ。今年は、平安王朝文学の『枕草子』に並ぶ『源氏物語』に因(ちな)んだ行事※もあるそうだよ。みんなで行きたいなあ。ねえ、禁多浪先生」 |
禁多浪先生 |
「【そうだ、京都行こう!】テレビのCMじゃないが、みんなが真面目に勉強したら、連れて行ってやろうかなあ」 |
熊助 |
「この中で、『炭もてわたるもいとつきづきし』というところ、女官が宮中の廊下を炭火を持って走り歩いている様子が浮かんでくるなあ。ゆっくりと時が流れていた時代だ。そんな時代に舞い戻りたいものだ」 |
モン吉 |
「アナログの時代か。時にはそんなのもいい。炭火で焼肉ってのもいいなあ」 |
うさ子 |
「モン吉君は食べることに目がないわね」 |
コン太 |
「宮中の生活を主として描いているから、貴族の優雅な世界だよ。まあ一般庶民の暮らしとは異なるからな」 |
禁多浪先生 |
「いずれにしても、冬の早朝は趣があってよいということだ。みんな、時には昔をしのんで、古都の雰囲気を味わったり、旅に出たりしてみるのもいいと思うよ」 |