熊介 |
「金太郎先生、まず、方丈記の書かれた時代と作品全体に流れている思想を教えて下さい」 |
金太郎 |
「この作品は鎌倉時代に書かれたもので、全体に仏教的無常観が満ちあふれているよ」 |
うさ子 |
「鴨長明はその頃どこに住んでいたの?」 |
金太郎 |
「京都に住んでいて、賀茂神社の神官だったのだよ」 |
コン太 |
「へえ、神主さんてこと?それじゃ、兼好さんと同じじゃねえの。冒頭文の『行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…』と読んでいくと、長明はいろいろ人生の悩みを述べているような気がするんだけど…」 |
金太郎 |
「コン太君、よく気がついたね。冒頭文の中に“心を悩まし”という言葉があるが、作品全体の中にも“心を慰まし”“心を動かす”“心を休む”“心に叶う”“心安し”などの言葉が出ていて、人の心、つまり、ハートを中心にみて、あわせてその行いを通して人生観を述べているとみられる作品だよ」 |
熊介 |
「そして、鴨長明は隠遁生活をしていたらしいけれど…」 |
うさ子 |
「いんとんって、栗きんとんを食べて生活してたってこと?」 |
コン太 |
「アハハハハ…バッカだなあ。そんな菓子、その頃あったかよ。うさ子ったら食べることばかり考えてるよ」 |
金太郎 |
「うさ子君、そんな甘い生活じゃないんだよ、隠遁生活ってのは…俗世間をのがれて深い山の中の庵にひとりでぽつんと住んでるんだよ。うさ子君なら、そんな所でどれくらい耐えられるかな?」 |
うさ子 |
「ある程度は耐えられるよ。わたしは山の中を跳ねまわってるんだもん。だけど、友達にも会えなかったら絶対だめだわ。彼が隠遁生活をしたのは何歳ぐらいですか」 |
金太郎 |
「50歳頃に、京都の大原の山中で、隠遁生活をしていたと言われているよ」 |
熊介 |
「ぼくの知っているところでは、長明は結構、歌が得意であったらしい」 |
うさ子 |
「そんなら、カラオケにも行って歌ったのかしら?」 |
コン太 |
「うさ子、またバカ言ってるな。そんな時代にカラオケなんてあるかよ。ねえ、先生、つまり、マイクもなしに歌ったんだよね」 |
金太郎 |
「おまえ達は大きな勘違いをしとる。長明先生は和歌を詠まれたんだよ。5・7・5・7・7のリズムでね」 |
熊介 |
「ぼく、知ってるよ。新古今集の中に十首入集しているのを…『今日もまた誰かは訪(と)ふと眺めやる 岡辺(おかべ)の松にひぐらしの声』」 |
コン太 |
「すごいな、熊介」 |
金太郎 |
「『秋深き嵯峨野(さがの)の小萩露さえて 過ぎゆく花の盛りをぞおもふ』…とかね。そして、千載集への入集も認められたりしたんだ。このように歌壇で活躍した時期もあるが、58歳くらいになって、日野の薬師寺『法界寺(京都市伏見区)』の近くの山中で、草庵生活をしているんだよ」 |
コン太 |
「先生、長明はそんな山の中で隠遁生活して、何らかのメリットがあったのですかねえ」 |
うさ子 |
「そりゃあ、美味しい空気と緑がいっぱい、きれいな谷の水、降り注ぐ木漏れ日、小鳥のさえずり…健康にはとってもいいわ」 |
熊介 |
「全くその通り、身体的にはね。それじゃ、ぼくは精神的な面から考察してみよう。しかるに、長明先生は“心の安楽さ”や“閑居の気分”を味わったが、却って自分の無力さを体感し、果ては自己をとことんまでつき詰めていったらしいよ」 |
金太郎 |
「そして、ついにその強靭(きょうじん)さを証明したのだ。そんな長明先生の真似が君たちはできるかね」 |
一同 |
「とっても無理、無理…でも、少しでも長明先生に近づけるよう、頑張ります」 |
熊介 |
「金太郎先生、では次に、方丈記12章までの内容の概要を教えてほしいのですが…」 |
金太郎 |
「冒頭文の『行く河の流れは絶えずして…』から考えると、河の水も水の泡も、そして人と住処(すみか)もいつまでもそこにとどまることなく変転をとげているということなのだ」 |
うさ子 |
「そういえば久しぶりに通った道に、大きなスーパーが建っていたわ。昔はそこに民家がずらりと立ち並んでいたのに…びっくりしちゃった」 |
コン太 |
「もちろん、そこに住んでた人もどこかへ行ってしまったんだよ。何だか悲しいね」 |
金太郎 |
「長明のいう人間と住居のことを今に置きかえると、全く君たちの言う通りだ。悲しくてはかない感じがするのは、作者が仏教的無常観をテーマとして描いているからだ。つまり、2章から6章までは、天災や人災をとりあげているわけだ」 |
熊介 |
「先生のメモによると、2章では安元の大火、3章では治承の辻風、(4章のみ福原への遷都と外れるが)5章で再び養和の飢饉、6章で元暦の地震をとりあげている。」 |
金太郎 |
「災害は忘れた頃にやってくると言うが、いつの時代も恐ろしいものだ。当時京都では次々と天災や人災が起こり、その一つ一つが想像を絶するほど大きかったそうだ。家も粉々に壊れ、大勢の人命も失われてしまった。全く哀れなことだよ」 |
コン太 |
「鎌倉時代と言えば、武士=戦いの時代で、そうでなくても人が大勢殺されているのに、おまけに天災や人災でも沢山の人が死んでしまうなんて、もうめちゃくちゃな時代だぜ、まったく」 |
うさ子 |
「うえ―ん、うえ―ん」 |
コン太 |
「うそ泣きすんなよ」 |
うさ子 |
「うそ泣きじゃないってば、本当に悲しいんだもん」 |
金太郎 |
「全くもって悲惨な時代だよ。熊介がいくら強くても、やはり自然には勝てないってことだよ」 |
熊介 |
「金太郎先生と相撲をとったら、ぼくは結構強いんだけど、やっぱりやっぱり、自然の脅威には脱帽です」 |
金太郎 |
「続く9章から12章では、長明自らの草庵生活における体験を述べているんだよ。最初は草庵での閑居を楽しんでいたのだが、終わりの章では閑居、すなわち草庵生活を罪過と感じとり、それを否定する境地に至っているんだ。」 |
熊介 |
「ハハ―ン、出家して仏に仕える身でありながら怠って、好き勝手に『方丈記』を書いたりしていたから、反省したんだろうなあ」 |
金太郎 |
「まあ、早く言えばそういうことになるだろう。草庵生活が罪過となる…というくらいに自分を追いつめ責め苛(さいな)んで、それにどこまでも耐えられるだけの強靭さを、身をもって会得されたんだよ、長明先生は…」 |
熊介 |
「どこまで草庵生活に耐えられるか否か。家庭持ちじゃできないね」 |
コン太 |
「先生、長明さんは結婚してなかったんですか?」 |
金太郎 |
「もちろん、妻子はもっていなかった。とどのつまり、俗世間を離れて、人はどこまで孤独に耐えていけるかねえ、うさ子君。」 |
うさ子 |
「わたしは絶対できないわ。いつもみんなと一緒にいて、おしゃべりがしたいもの」 |
熊介 |
「まあ、人間は自然をもっと大切にしないと、いつ牙を向けてくるかわからないということだ」 |
金太郎 |
「だから人間命ある限り、みんな仲良くして、毎日をよりよく生きていかなくちゃね」 |
熊介 |
「先生、今日はためになるお話、ありがとうございました」 |