◇ 和歌とはなにか
撰者の一人、紀貫之の作とされる「仮名序」は、仮名で書かれた初めての歌論・文学論として 高く評されています。
では、「仮名序」の続きです。
「世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり。花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声をきけば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。」
〈この世の中に存在する人間というものは(誰しも)、関わる事柄が多いものであるから、心に思っていることを、見る物や聞く物に託して言い表しているのである。(いや人間だけではない、)花に鳴く鶯や、水に住む蛙の声を聞くと(本当にこう思うのだ)、あらゆる生き物のうちで、いったい何が歌を詠まないであろうか、歌を詠まないものはないのだ。〉
生きとし生けるものすべてが歌(和歌)詠みである――歌人貫之の純粋な思いが時空を超えて迫ります。生きることは歌うこと、歌うことは生きること。なんだかそんな風にも読み取れて、ちょっと一首ひねってみようかという気さえしてきます。これが言葉の力というものなのでしょう。
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◇ 和歌独立のための仮名革命
「仮名序」の他に漢文の「真名序」(紀淑望筆か)も付されていますが、『古今集』が画期的 な歌集である所以は、仮名書きの勅撰集だという点にあるのです。
宮廷の後宮では、仮名が「女手」として使われており、やがて、和歌を女手で書く習慣が生まれました。しかし、『古今集』以前は、仮名は仮り名=仮りの文字で、真名=正式の文字=漢字よりも社会的に一段低いものとされていたのです。ですから、女手による勅撰集は、仮名が公的に認められたという何よりの証拠なのです。
漢字簡略化の目的で生まれた仮名ですが、和歌の情緒の内に守られ優雅な表音文字に育ちました。のびやかなひらがなの筆運びには、人の心を種とした多感な言葉をほのぼのと包み込むような趣が感じられます。
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◇ 和歌、仮名と出逢って独立!
一方、和歌は口誦文学としての歴史と伝統は誇れるけれど、文字表記においては(万葉仮名も、 音に漢字を対応させるという点では借りもので)その内なる己を映し出すに相応しい独自の文 字を持っていませんでした。
和歌は初めて、『古今集』において正式に、〈借りものでない〉仮名で表記され、日本の文芸における不動の地位を築いたのです。
新生・和歌の第一歩です。「和歌の独立」と呼んでもいいでしょう 。
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◇ おまけ
ところで、和歌の独立と深く関わった「仮名革命」は、現代日本語表記(漢字仮名混じり)の 原点となったという意味で非常に重要な事件だったのです。すなわち、日本語の歴史が動いた瞬 間であると言っても過言ではないのです。
さて最後に、公式デビューして市民権を得た「仮名」のことですが、随筆や物語・日記などの散文の世界でも歓迎されて、『枕草子』、『源氏物語』……と大活躍しました。そして、21世紀の今も元気に日本語を支えております。
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