ミカちゃんとの出会いは、ちょうど1年前だった。学院の教育相談員に連れられて、ミカちゃん宅を訪問した。お母さんの後ろに、ちょっと緊張した表情のミカちゃんが立っていた。
志望校は、偏差値60以上の難関校。初めての授業で、志望校と彼女の学力との落差に愕然(がくぜん)とした。聞けば、いくつかの塾を転々とした末に日本家庭教師センター学院にたどりついたという。父はエリートサラリーマン、母はブティックを経営。教育はプロ頼みという典型的な仕事一途の家庭である。
算数担当のS先生と1年間の指導計画を立てる。
☆夏休み終了までに基礎学力をつけること
☆模試を受け、その時点でミカちゃんの学力を両親に認識してもらい、
志望校の検討をはかること
この二点を念頭に私たちの指導が始まった。週1回の指導なので、残る6日はファックスで指導する。ミカちゃんの送信してきたプリントの答えをチェックして返信するのだが、国語の苦手なミカちゃんは、こちらの意図している内容が呑(の)み込めず、ファックスだけでは手に負えないこともしばしば。そこで、送信したばかりのプリントを片手に、電話で指導をするといったことも度々であった。
しかし、一日一回の電話指導には思わぬ効用があった。かぎっ子のミカちゃんの心をつかむことができたのである。指導の電話のあとに、「センセ、ちょっと聞いて」と、学校での出来事や友だちとの感情のすれ違いを報告する。それが他愛ない話であっても、話して納得する年頃だ。おしゃべり電話は両親の帰りが遅い時に集中した。
遊びたい盛りの中学受験生は、親の目が行き届かない家庭では漫画・テレビ・ゲーム・インターネットへと逃げる。ミカちゃんも例外ではなかった。下校から両親の帰宅までの夕方の時間が無駄に使われている。その時間の管理が必要であった。そこで、<学習実行表>を作って課題を与え、出来たらファックスする―― そんな約束をしたが、送信されないことも多々あり、こちらから催促のファックスをすることもあった。
「課題をさぼる→叱責」の繰り返しは、だんだん少なくなったとはいえ、秋口まで続いた。「ごめんなさい。今度は真面目に勉強します」というファックスが何度届いたことか。小学生だもの、無理だ―― と思いながらも、「受験生の自覚を持て!」と叱咤激励(しったげきれい)する日々が続いた。
こうした指導を重ね、模試のデータをもとに志望校の見直しをはかった。両親は、個性を尊重し、自由な校風を誇るA校を選んだ。しかし、偏差値の隔たりはまだ大きい。学力の向上をはかるほかに術(すべ)はない。
ミカちゃんは、<物語文>はすんなり解けるのだが、論理的な思考を必要とする<論説文>が苦手で、「わからない」といっては、すぐに投げ出す。筆者の主張に―― 線を引くという細かな作業を通して<論説文>の読解がようやく身についたのは、秋も深まる頃であった。
秋のはじめに行われた学校説明会でA校を見学したミカちゃんは、「どうしてもこの学校に入りたい」という気持ちが高まったようだった。その気持ちが、「論説文から逃げていたら合格できない」という危機感につながった。苦手な<論説文>を克服した裏には、そうした必死な思いがあった。
志望校の過去問に挑戦したのが12月。長文の読解は制限時間との闘いであった。常にタイムを設定し、制限時間の50分を体で覚えこむようにさせた。
普段は家庭教師一本槍だった塾ぎらいのミカちゃんを、冬休みだけ塾の冬期講習に通わせたのも成功であった。一緒に闘っている仲間たちがいることを目(ま)の当たりにしたミカちゃんは、刺激を受け、やる気に弾みがついた。同時に、「ライバルには負けられない」という競争心も生まれた。
こうして、今まで初歩的なミスの目立ったミカちゃんの答案は完璧に近いものになっていった。算数担当のS先生も、「別人のようだ」と驚いていた。受験生であるという自覚と意識が、ミカちゃんを変えたのだ。
1月、知識の総復習をし、苦手分野の克服に努める。試し受験も無事クリアし、いよいよ2月1日の受験当日を迎えたのだった。 |