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> 第60回 国語『徒然草にみる兼好の人生観〜現代人にも通じる衣食住の智恵〜』
≫本 文
≫宿 題
世の人の心惑はすこと、色欲にはしかず。人の心は愚かなるものかな。匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣装に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。久米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て通を失ひけむは、まことに手足肌などの清らに肥え脂(あぶら)づきたらむは、外(ほか)の色ならねば、さもあらむかし。
(第八段)
兼好が衣に関して述べている段はほとんどありません。後は、「女のもの言い掛けたる」(一0七段)で、この世に女がいなかったら、男は着る物もかぶる物もどうでもよくなり、身なりを構わなくなると言っています。この段(第八段)でも、色欲は人を惑わす愚かなものだとしながらも、女性の色香には抵抗しがたいと述べています。また、匂いは仮のものとはいえ、着物に香をたきしめた、何とも言えないよい香りはたまらなく人の心をときめかせるものだと言っています。
古来日本では、お風呂などにも「ゆず」「よもぎ」「しょうぶ」を使いました。現代も、Aroma-therapy(アロマ・セラピー)というマッサージ療法は、ストレスを解消するため芳香性のあるオイルを使って行っているのを、皆さんよくご存知のことでしょう。
香水や香り袋などもその人の魅力を一層ひきたてます。また、ラベンダーやグレープフルーツの香りで部屋を彩るなど、心を癒すものとして香りは現代生活にとってますます切り離せないものとなっています。
兼好はある意味で、先見の明があったのですね。
鎌倉の海に、鰹(かつお)という魚は、かの境には双なきものにて、このごろもてなすものなり。それも、鎌倉の年寄りの申し侍(はべ)りしは、「この魚、己(おのれ)ら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づること侍らざりき。頭(かしら)は下部も食はず、切り捨て侍りしものなり」と申しき。
かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入り立つわざにこそ侍れ。
(第一一九段)
黒潮にのって泳ぐ鰹の旬は、青葉若葉の頃、芭蕉の友人山口素堂も“目には青葉山ほととぎす初鰹”と詠んでいます。とれたての新鮮な鰹は、他に比類なきほどの美味だったのでしょう。
兼好は京都吉田神社の神官の家系に生まれ、三十代後半から遁世(とんせい)生活を送る傍(かたわ)ら、関東にも下り、東国の名士たちと交流しているので、鎌倉の鰹のことにも詳しかったと思われます。食も時代と共に変化し、下郎の者でさえその頭は棄てて食べなかった鰹も、末の世には上流階級の口にまで入ると言っています。
現代においても土佐の鰹の一本釣りは有名で、高知県では、かつおのたたきや皿鉢(さわち)料理<大皿の皿鉢に鰹の刺身や煮物、焼き物、鮨(すし)などを盛り付けたもの>が名物です。また、生食だけでなく、鰹節や生節(なまりぶし)や缶詰としても加工され、好まれています。
一方、鰹は、「勝つ男」という意味で、縁起のよいものとされ、鰹節などは祝い事にも使用されています。
海のない京都市内で育った兼好は、関東へ旅し、そこで新鮮な鰹を生食し、その美味しさにきっと感動したのでしょう。
家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑きころ、わろき住居は耐へ難きことなり。深き水は涼しげなし。浅くて流れたる、はるかに涼し。細かなる物を見るに、遣戸(やりど)は蔀(しとみ)の間よりも明かし。天井の高きは、冬寒く、灯火(ともしび)暗し。造作(ぞうさく)は、用なき所を作りたる、見るもおもしろく、よろづの用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。
(第五十五段)
兼好は自分の生まれ育った土地の気候、風土を十分に知っていて、だからこそ住まいについては趣向をこらすべきだと考えていたのです。
京都は、四方が山にとり囲まれた盆地で、内陸性気候のため、冬と夏では気候の年較差がある上に、とりわけ市内は風のぬける海がないので、冬は寒く夏は暑い、その度合いが大きいことが特徴です。
ところで、住まいに関して兼好は、この段以外に第十段(家居のつきづきしくあらまほしきこそ)でも長々と述べています。そこでは、どんな造りの家でもその家の主の趣向が反映されているということや、自然のものを重んじるという考えが述べられています。
さらに、この段(第五十五段)ではより具体的に、家の造り方は夏を中心に考えたほうがよいと述べています。冬はどんな場所でも住めるという考え方ですが、これが極度に寒い地方ならそういう訳にはいかないのではないでしょうか。やはり、自分の住んでいる土地(京都)の経験から、暑い夏のことを考えていない住まいは住めたものではないとまで述べているのでしょう。
また、庭の遣水(やりみず)などは、深い流れよりも浅い流れに造った方が、涼感があるというのです。なるほど、家の周りに流れの浅い遣水を造っておき、それを利用して、流しそうめんなどをしてみるのも涼しげで、風流が味わえるかもしれませんね。
次に、平安時代から使われていた蔀(しとみ)・〈光線、風雨を防ぐもので、板に格子(こうし)を張った戸〉のことをとりあげています。ここでは、蔀よりも、遣戸(やりど)・〈鴨居と敷居のみぞにはめて、左右にあけたて(=開閉)する引き戸〉の部屋の方が明るいと評しています。
また、家の造作は目的のない余分な場所もあった方が、ゆとりがあってよいという考え方にもふれています。
古きよき伝統が見直されている現代、何も広い空間などなくても、兼好の「和」流をこれからの家造りの参考にしてみても面白いですね。