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> 第42回 国語『王朝文学の心に触れてみよう-ユーモアの心と風流-』
≫本 文
≫宿 題
『枕草子』(第40段)・「虫は」
虫は、鈴虫。茅蜩(ひぐらし)。蝶。松虫。蟋蟀(きりぎりす)。機(はた)織り。われから。ひをむし。蛍。
蓑(みの)虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐しき心あらむとて、親のあやしき衣(きぬ)引き着せて「今、秋風吹かむ折ぞ、来(こ)むとする。待てよ」と言い置きて逃げて去(い)にけるも知らず、風の音を聞き知りて八月(はづき)ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。
額(ぬか)づき虫、またあはれなり。さる心地に道心おこして、つき歩(あり)くらむよ。思ひかけず、暗き所などにほとめき歩きたるこそ、をかしけれ。
蠅(はえ)こそ、憎きもののうちに入れつべく、愛敬(あいぎゃう)なきものはあれ。人々しう、敵(かたき)などにすべき物の大きさにはあらねど、秋など、ただよろづの物に居(ゐ)、顔などに濡れ足して居るなどよ。人の名につきたる、いとうとまし。
夏虫、いとをかしう、らうたげなり。火近う取り寄せて物語など見るに草子(さうし)の上などに飛びありく、いとをかし。
蟻(あり)は、いと憎けれど、軽(かろ)びいみじうて、水の上などをただ歩みに歩みありくこそ、をかしけれ。
☆清少納言の科学する眼と機知に富んだ人柄
作者はこの段で、母親が蓑虫を鬼(男親)の生ませた子だから、親に似て恐ろしい心の持ち主だろうと思って、粗末な蓑を着せて、木の枝にぶら下がっている子供に「もうすぐ、秋風が吹く頃になったら、迎えに来るので、待っていなさい」と言い置いて、その実恐れて逃げて行ってしまったのも知らずに、母を慕って鳴いているという「あはれさ」に着眼している。「衣引き着せて」という擬人法をつかう一方で、秋の訪れを知った子供の虫が「チチヨ、チチヨ」と乳を恋い慕って鳴いていると表現した。「父よ」と解する説もあるが、どちらも鳴き声から連想したものであろう。
また、ヌカズキムシは、「またあはれなり」と述べているが、ここでは、殊勝(感心する・けなげな)という意味である。困難や苦労に必死で立ち向かう意味を持つ。虫のくせに仏に仕えようという気持ちになり、頭をさげさげ歩いて、窮屈な暗い所などでも、必死で頭を床につけ、ほとほとと歩きまわっている光景を思い浮かばせる。作者はこんな小さな虫でさえもよく観察し、それを機知に富んだ表現であらわしているのは、誠にすばらしい。
次に蝿をとりあげているが、この虫は作者にとって、嫌なもので、“しゃくにさわるもの”なのである。これほど可愛げのないものはないと、きっぱり言いきっている。一人前に目の敵(かたき)にするほどの大きさでもないのに、秋の頃、もう何にでもとまり、顔などに濡れた足でとまったりするのは、きっと、不潔で気味が悪いのだろう。今の私たちも、蝿のイメージは不潔な気がして、あまりいい気分のする虫ではないが……作者は虫の名が、まして人の名につけてあるのは、とても嫌だと感じている。蝿太郎、蝿之助…しかし、ちょっとおもしろい。
次に夏虫は、作者のお気に入りといえる。大変趣があり、大変かわいいと述べている。秋の夜長、チンチロリン、リンリンリン、スウィッチョンと、草むらの中で鳴く虫は今も皆に好まれている虫たちである。この頃は今よりももっと自然が豊かで、虫たちもきっと多くいたと思われる。作者が灯火(ともしび)をつけて物語など読んでいる本の上に、虫がぴょんと飛び歩いている光景も思い浮かべてみると、おもしろい。作者は蝿などの時のようにいやな顔をせずに、にこにことして、いつまでもその本の上にとどまらせておきたいと思っているだろう。ほんの一瞬のうちに飛び去っていったなら、きっと悔しがっていただろう。清少納言の表情が目に浮かんでくる。
また、蟻も作者にとって、蝿と同様、あまり好きなものではないらしい。“いと憎けれど”と述べてはいるが、後半で、身が軽いからすいすいと水の上などを歩くのに興味をもって観察している点がうかがえる。一口に虫といっても益虫も害虫もいるが、こうした作者の鋭い観察眼(科学する眼)はすばらしい。
☆清少納言について
平安時代、京都の御所(宮中)の女官。10歳年下の中宮定子に、20代の後半から 30代の半ばまで仕えた。機知に富み、人情も豊かで、観察眼も鋭い。平安王朝の時代を生き抜いた、まれにみる才女であることが、随筆「枕草子」(全284段)を通して、うかがい知ることができる。