4月、春美ちゃんは晴れて中学生。新学期最初の授業に訪問すると、二階から駆け降りてきた。
「先生! 古文てチョ→面白いネ! 聞いて聞いて『まくらのそうし』の出だし覚えたんだから――春はあけぼの。ようよう白くなりゆくはえぎわ少しあかりて、紫だちたる髪の細くたなびきたる……」
――ちょ、ちょっと待って。なんかヘンだな……。
「意味だって知ってるよ! むかし、お春さんがあけぼの町に住んでいて、だんだん白くなっていく髪の生えぎわが少しハゲあがって、紫に染めた髪が一筋細くなびいているのを鏡で見て嘆いていたんだって」
――そ、そんな! 原文と違うのはわずか2か所だけど、なんでそうなっちゃうの! いい? 『枕草子』の原文はこうなんだからね!
春はあけぼの。ようよう白くなりゆく山ぎわ少し
明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
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「同じようなもんじゃん」 ――全然違うってば! だいいち今のオバサンと違って、昔の人は髪を紫に染めたりしないよ。でも「やうやう」を「ようよう」と読んで「だんだん」と訳したのは上出来だけどね。つまり、これは今から千年も昔の平安時代、清少納言(せいしょうなごん)という女の人が書いた文章で、鋭い感性で日本の四季を簡潔に描いた名文として知られているんだよ。だから意味はこうなるの……
春は夜明けがいいですね。しだいに白んでゆく山ぎわの空が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているのは、なんとも言えずおもむきがあります……
そして、そのあとの原文も
夏は夜。月のころはさらなり。やみもなお、蛍(ほたる)の多く
飛びちがいたる……
と続くんだよ。
「お夏さんは夜ごとどこかへ出かけて行き、満月の晩になると……」
――もういい! 頭がヘンになりそう……はは〜ん、ひょっとしてこれ夏代ちゃんがからんでない?
「うん。こないだお姉ちゃんが教えてくれたの。高校入試の前にing.先生から習ったんだって」
――教えてない、ない!! それってただのエープリルフールだよ!
「なあ〜んだ。覚えてソンした」
――いや、そんなことはないって。少々意味を取り違えていても、原文のリズムを味わうことは大事なんだよ。たとえばこんなのはどうかな……
月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして
行きこう年もまた旅人なり。舟の上に生涯を
浮かべ馬の口とらえて老いをむかうる者は
日々旅にして旅をすみかとす……
(松尾芭蕉『おくの細道』
:まつおばしょう『おくのほそみち』)
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「月日は百円ショップの代金みたいな価格で……」
――無視無視! つぎ行くよ……
つれづれなるままに日暮らし硯(すずり)にむかいて、心にうつりゆくよし
なし事をそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるおしけれ……
(兼好法師『徒然草』
:けんこうほうし『つれづれぐさ』)
「……?」
――ははは! さすがの夏代ちゃんも不勉強だったとみえるね。「つれづれなる」というのは「することがなくて退屈している」状態を言うんだよ。じゃあ、これはわかるかな……
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶ
うたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。
(鴨長明『方丈記』:かものちょうめい『ほうじょうき』)
「それも、お姉ちゃんは教えてくれなかったけど……川の流れは絶えないからいつも同じに見えるけれど、もとの水とは違う水が流れているってことかな?」
――いい線いってるじゃない! これもわかりやすいよ……
今は昔、竹取りの翁(おきな)という者ありけり。野山にまじりて
竹を取りつつ、よろづのことに使いけり。名をば、
さかきのみやつことなん言いける……(『竹取物語』)
「それ知ってる! かぐや姫の話でしょ。ビデオで観たことあるもん」
――当たり。作者はわからないけど、たぶん教養のある男の人が書いたんじゃないかって言われている。物語と言えば、こんなのもあるよ……
いづれの御時(おおんとき)にか女御更衣(にょうご
こうい)あまたさぶらいたまいけるなかに、いと
やんごとなききわにはあらぬが、すぐれて
ときめきたもうありけり……(紫式部『源氏物語』
:むらさきしきぶ『げんじものがたり』)
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「源氏って、源氏と平家の?」
――違う、違う。光源氏というやたら女の人にモテまくる、ものすごい美男子が主人公なの。
「滝沢秀明みたいな?」
――そんなもんじゃないって! そもそも源氏の君は由緒正しい貴公子だから、今どきのアイドルでさがすのは難しいと思うよ。
「タッキーだってカッコいいよ〜!」
――わかった、わかった。平家が出たところでもうひとつ……
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、
諸行無常(しょぎょうむじょう)の響き
あり。沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の
ことわりをあらわす……(『平家物語』)
「これも平家さんて人が主人公なの?」
――いえいえ、今度こそ源氏と平家の平家。源氏に滅ぼされた平家一族の悲哀を琵琶法師(びわほうし)と呼ばれる盲目のお坊さんが、琵琶という楽器を弾きながら語り伝えたんだよ。
「ギターの弾き語りみたいなんだ!」
――うーん、まあいいか。そうだ、今日の国語の宿題はこれにしよう。いま冒頭文を読んだ古典作品の中に、日本の三大随筆と言われる作品が入っているよ。その三つの作品名と作者名を漢字で書けるようにしておくこと。くれぐれも夏代ちゃんにはきかないようにね。ちゃんと自分で調べないと、まただまされるよ。冒頭文は、すらすらと言えるようにしておくといいね。
「うん、わかった。日本の古い文章って、なんかいい感じ。ちゃんと覚えて、お姉ちゃんをビックリさせてやろうっと」
――その調子、その調子。
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