私は日本家庭教師センター学院の英語、および歴史の家庭教師として30年以上にわたり多くの生徒たちを指導してきた。30年以上も指導を続けてこられたのは学院への信頼の厚さと実績の高さの賜物であったと思われる。また同時にプロとしての自覚、および日々の切磋琢磨も大きな要因ではなかったかと思われる。このプロとしての自覚こそ他の家庭教師センターとの違いであり、学院が高く評価される所以でもあろう。
では、プロ家庭教師に求められる大事な資質は何かというと、それは性格が明るく、子供が好きなことである。どこの大学(卒)とか、学識の量などは二の次である。それは家庭教師の指導の根幹が、「生徒が楽しく学べるか」に尽きるからである。そのためにはまず教師は子供好きで明るい性格でなければ務まらない。
指導を開始するにあたってまず求められるのは生徒と家庭からの信頼である。私は生徒にまず好きになってもらうことを心がける。そのために生徒の抱えている問題や弱点を追及したり、責めたりするのではなく真摯に相談にのり、ともに考えるというスタンスをとる。または、生徒のクラブ活動、趣味、好きなもの、あこがれなどを素早く引き出し、一緒に語り合うようにする。自分に関心のあるテーマで話したことで、話が弾み、“楽しく心地よい時間”がもてたと生徒に感じてほしいからである。これが口先だけにならないよう、私自身も生徒が関心を持ちそうなスポーツ、音楽、趣味などに実際に打ち込み、臨場感あふれる会話を心がける。たとえば、サッカーや野球は常に情報を得、また生徒たちのあこがれとしてのサーフィンやスノボー、テニスなども実際に現役で楽しんでいる。音楽や他の文化、芸術もしかりである。こうした楽しい雰囲気の中で指導を進めることがまず第一歩である。この関係が指導をはじめて2〜3回のうちに構築できればそれ以降の指導は大変実りあるものとなる。
写真はイメージです
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さらに付け加えると、私の指導の特徴は24時間体制で指導するということである。前述の英字新聞記事のファックス送付と重複するが、基本的にはファックス、メールを通じて常に問題の添削、質問の応答、相談などをやりとりしている。わからないときが質問したいときであるから、授業のない日もうまく活用するように心がけている。むろんこれはサービスであり、特に別途料金をいただくことはない。私を十分利用していただくことが学習効果を挙げ、結果として合格することにつながるからである。
また私自身も英語以外の語学や、スポーツ、音楽などを習い、その中でコーチや講師の指導法を興味深く観察している。参考になる「指導法」を「盗んで」自分の指導に取り入れるためである。自分以外は皆「師」だと思うからである。さらに、私は実際、難関大や医歯薬大を受験し、各大学の出題傾向やレベルを分析している。だから、受験生も最低1年前から私の指導を受け、万全の体勢で受験に望んでほしい。
今まで指導してきた生徒のなかで一番印象に残っているケースはF君の「指導」である。F君は学生ではなくすでに40歳ぐらいの社会人であった。ただ体調が万全ではなく、人とのコミュニケーションをとることが不得手で、家に引きこもっていることが多かつた。
そんなF君のことを心配したご両親は彼に生きる目標を持たせようと英語の学習を勧め、そして当センターに連絡を取られた。その結果、年齢もかなり上の私が派遣されたのであった。
F君は英語の基礎はかなり忘れていたが、昔外国に行った経験もあることから、再び海外に行きたい、できれば留学したいという夢をもっていた。それが彼の唯一の夢でもあった。
私は彼の夢をかなえるためのお手伝いができることに心から喜びを感じた。ただ初めの授業のときから相当量のジュースを飲み、煙草を吸っていることに一抹の不安を覚ええたのも否めない。健康のためにはもう少し控えたほうがいいのではないかと思ったからだ。
2回目の授業では海外留学するケースを想定して会話練習を行った。シャイで無ロなF君だが、この会話練習ではよく英語を話してくれた。ところが3回目の授業の前日にご両親から思いもかけない電話を受けた。F君が急性心不全で亡くなったというのである。体調が万全でないことは理解しているつもりだったが、あまりにも突然でご両親をお慰めする言葉も出てこなかった。
翌々日、彼の葬儀に出席させていただいた。出棺前の最後のお別れで、棺の中に花を入れようとした時のことである。なんと前回一緒に勉強した英語のプリントがびっしりと棺の中を埋めているではないか。その場にいたご両親によれば、ここ最近、F君がこれほど意欲的に取り組んだものは他になかったのだという。だから、彼が夢見た海外留学をこのブリントに託して送り出してあげたいのだと・・・。
私はあふれる涙を止めることもできず棺の中のF君を抱きしめていた。今でもF君のことは忘れられない。F君の人生最後の舞台をともにさせていただいたことを私は心から誇りに思う。