父は私に小学1年生から家庭教師の先生をつけてくれました。しかし、勉強嫌いで、成績もイマイチだった私は、先生が指導にみえてもやる気が出なくてあくび半分、出された宿題もきちんとやる生徒ではありませんでした。
勉強に対する態度はその後も変わらず、高校受験の時も、家庭教師の先生がついていてくれたから合格出来たと思える程です。
大学受験のときも同じでした。
それでも獣医師になりたいという夢は持ち続けていたので、志望大学も麻布大学獣医学部と決めていました。麻布大学を志望した理由は、4年後には創立100周年を迎える伝統と実績のある大学であったこと、獣医学の教育力リキュラムが基礎、臨床・予防、専修と多岐にわたっていたこと、国公立大を含めた獣医系大学の中でも充実した講座編成であったことなどに魅力を感じたからです。また、自宅から通学が可能な点も志願理由の一つでした。
麻布大学には合格したいと思いながら、受験勉強への取り組み方が甘い私に、父は「浪人はさせないぞ!絶対に、現役合格しろ!」と、厳しい態度で励ましました。父の絶対は絶対であり、そこに妥協の余地がないことはわかっていたので、それが私には大きなプレッシャーになりました。
本格的に受験勉強をスタートさせたのは高2からでした。受験科目は苦手だった国語と社会を伸ばすより、得手だった英語・数学・生物に絞り、週3回、1回につき2時間の指導で、週に6時間、月に24時間の指導を受けていました。 教科別に専門の先生3人による指導で、3人ともSランク(学院で当時の最高ランク) のプロ家庭教師でした。
そもそも勉強が嫌いで、何をどう勉強していいのかわからない私に対して、先生たちはそれぞれが立てた学習計画にしたがって、次から次へと課題や宿題を出し、私はただ言われるままにそれをひたすらやり続けました。途中で勉強がわからなくなったり、やる気がなくなったりすると、レベルを下げて教えてくれたり、気分転換をさせてくれたりしました。
スタート時点の学習内容は、入試戦力の土台固めのために、基礎学力の総点検から始まりましたが、学力がついてきた段階で、麻布大学獣医学部の入試傾向に的を絞った勉強をがんがんやりました。
そんな中で、高2の3学期にはスランプに陥り、なぜ、成績が上がらないのか?という気持ちになりました。また、公開模擬テストの成績が悪いときや、成績の上下が激しいときなどは、相当に落ち込んだりもしました。そんなときにもプロ家庭教師の先生方の存在が大きな支えになりました。いつも身近にいて、勉強の指導だけでなく、心のケアも引き受けてくれたからです。
またある先生からは、「やり方は教えるが、勉強するのは君なんだぞ。自分で学力を伸ばして、その実力で入試を突破するんだ」と、何回となく言われ続けていました。最初は、その意味がよく理解できなかったのですが、テストで結果を出しているうちに、だんだんと飲みこめてきました。
念願の麻布大学獣医学部に合格したとわかった時には、跳び上がるほどの喜びを感じ、早速合格したことを小中学校や高校時代の恩師、そしてもちろん3人のプロ家庭教師の先生方にも連絡しました。先生方はロをそろえて、『小1からの夢を実現できておめでとう。いい友達を作って、大学生活を楽しみ、立派な獣医師になってください』という祝福の言葉をくださいました。
合格発表の時よりも、私が感動したのは、入学式で自分の名前を呼ばれた時です。実感として大きな感慨がこみあげ、昭和62年度の新入生として『古川隆弘君』と呼ばれた時には、“麻布生であるという自覚”が生まれ、身体の中を熱い血が駆け巡りました。
こんな経験が出来たのも、プロ家庭教師の先生の的確で熱心な指導があったからこそで、自分ひとりの力では合格はおぼつかなかったと思っています。
1987年度入学式
約35年前の当時、獣医学科は国公立11校と私立5校、全国で合計16大学しかなく、地域的には、西日本の5校に対し東日本が11校であり、総員の約8割が東日本にある大学に偏っていました。また、定員もこの半世紀ほど930人と変わっていず、その約6割が私立大学に入学するのが、獣医師系大学の現状です。今、核家族化が進みペット産業が栄える反面、地域によっては小動物臨床の動物病院が飽和状態であったり、牛や豚などの産業動物臨床では、重労働や低賃金による人手不足が心配されたりなどの問題があります。前者では、親が開業している実績ある病院でも、新規参入の病院との競争に勝つ経営ノウハウが必要な時代であり、後者は、食の安全性に直結しています。
獣医師は、動物の種類によって異なる体や内臓の構造を理解する必要があり、薬の作用も違う場合もあります。また人間の場合なら、外科医、内科医、眼科医、歯科医、薬剤師、臨床検査技師、レントゲン技師等が分担する内容を、獣医師は一人で僅か6年間で学ばなければなりません。
ここでは、私が大学卒業して2年後に執筆を依頼され、月刊「医歯薬進学」1995年5月号に掲載された「医大系で何を学ぶか」を抜粋、改訂して紹介します。
近年、獣医学科を目指す受験生が増加する中で、私は果たして受験生が、どのような獣医師を目指し、また現場で働く獣医師をどれぐらい知っているのかに興味があります。それは、一般的に獣医師といえば、ペットを扱う動物病院で働くイメージが強いからです。しかし、たとえキミが、動物病院の開業医なることしか希望していないとしても、獣医学科を目指す立場として、様々な分野で獣医師が活躍していることを知ってほしいのです。
まず、獣医師が携わる動物を分類すると、犬・猫をはじめとするペットの小動物、牛・馬・豚など産業で必要な大動物(産業動物)、医学・薬学などを発展させるための実験動物、野生動物、動物園動物になります。
野生動物と動物園動物を同じと考えている人がいますが、生活環境が違いストレスを持って動物園にいるライオンは、もはや野生動物とは呼べないのです。現在、動物園動物を増やすのも各動物園同士が協力して、繁殖のためにレンタルし、絶滅を防ぐ“ズー・ストック計画”が盛んに行われています。
以上のように分類された関係性は、同じ種類の動物でも単独には存在しません。例えば、ゾウの場合、アフリカのサバンナにいる野生動物を連想しがちですが、動物園動物でもあり、インドネシアでは物を運搬する重要な産業動物でもあります。また大富豪が、ペットとしてゾウを飼っている場合もあります。
このように、それぞれの動物の関係性は密接であり、それらの学問の内容を獣医師は知っておかなければなりません。そして、獣医師が扱う動物は、人間以外のすべての命であり、実験動物では最終的に人間の命にフィード・バックされています。すなわち、獣医師は地球上に生きるすべての命に携わっていることになります。
ここで仮に、キミがペットのお医者さんになりたいと考えても、ペットという言葉を安易に使うのではなく、十分に理解しておかなくてはならないことがあります。
それは、ペットとは「愛玩動物」であり、その意味は“かわいがり、楽しむこと”であって、人間のエゴイズムにより欲望が満足されればよく、後はおもちゃと同じように捨てられてしまう可能性を秘めていることです。
そこで、獣医師を目指すキミには『コンパニオン・アニマル』という言葉を積極的に使ってほしいのです。なぜなら、このコンパニオン・アニマルとは「伴侶動物」であり、“道連れ”つまり、家族の一員として一生を共にするという意味があるからです。
ところで、獣医学は矛盾を持った学問であることも理解しなければなりません。それは、仮に犬は骨折したならば、飼い主の希望により獣医師は全力で治療を行います。しかし、これが産業動物の牛の場合では、治療費と商品としての牛の価値を考え、治療するより食肉にした方がよいと判断されたら、牛は即、安楽死となります。同じ動物の一つの命でありながら、一方では費用を惜しまず命を救い、一方では商品の価値により命を落としてしまうのです。
次に、学問別に獣医学を大きな柱として分類すると、臨床獣医学、獣医公衆衛生学、予防獣医学、比較獣医学となります。
この中で獣医公衆衛生学とは、食品衛生、食肉衛生も含まれ、日頃、我々が安心して肉料理を食べることができるのも獣医師の活躍があってこそなのです。また比較獣医学とは、実験動物などの生きた動物から得られたデータを人間の医学に還元することで、医学の面からも獣医学は期待されています。
このように動物が生きていく上だけでなく、人間が生きていく上でも獣医学は重要な位置を占めているのです。
私の出身大学は、神奈川県相模原市にある私立の麻布大学です。1年生から入室できる研究室、3年生や4年生からできる研究室など、入室の学年は各研究室で違いがありましたが、在学当時は全部で26講座あり、卒業論文(医学部では不要)を書くため、5年生までに必ずどれかの研究室に入室しなければなりませんでした。
ちなみに私が4年生から所属していた研究室は「寄生虫学研究室」で、その入室理由は野生動物に一番関係性があると思ったからでした。野生動物への夢については、この後で触れるのでここでは省略しますが、卒論のテーマは、「双口吸虫 Orthocoelium streptocoelium の中間宿主への感染およびセルカリアの遊出に関する研究」で、実験のため深夜や夏休みを返上して研究室にこもりました。内容は、双口吸虫の一種で、牛や山羊などの反芻動物の胃に主に寄生するOrthocoelium streptocoeliumの幼虫(セルカリア)が、一度ヒラマキミズマイマイという巻き貝に寄生し、中間宿主になるその貝内から外部へ游出する時、草の色に近い黄色ないし緑色の光を好んで游出し、食草動物に寄生する比率を高めていることをデータで証明しました。
ここで、少し寄生虫について語りたいと思います。多くの人には寄生虫と聞くだけで、気持ちが悪い、汚い、怖いという悪い印象があると思います。しかし、私の卒論でも説明しましたが、寄生した宿主の中でしか生きられない寄生虫は、寄生すること=種を守ること、であり、自ら工夫し、決して宿主に死に至るまでのダメージを与えません。もし宿主が死ねば、それは同時に寄生虫の絶滅を意味しているからです。そして、寄生虫を見下す我々、人間のことを思い出して下さい。人間は、地球という宿主にしか生きられないのに、森林伐採、大気汚染、原発事故等々、限りある資源の地球にダメージを与え続けています。まさに地球にとって、人間の存在は寄生虫そのものであり、今後の地球を守るためには、我々のあり方が問われるでしょう。 研究室で過ごした貴重な日々は、ただ単に卒業するための論文を書くだけではなく、そういった広い視野を醸成しながら、一生の友ができた貴重な場でもありました。
●最終的なアドバイス まず、キミが目指す獣医師の「師」に責任を感じてほしいのです。この「師」という意味は“多くの人を教え導き、人の手本となる人”ということも含まれていて、一般社会から信頼される立場として様々な分野に興味を持つことが重要です。
特に、世の中で獣医学に結びつく事件や事故に対して、自分なりのきちんとした考え方を持ってほしいのです。
例えば、動物虐待や大震災時のペットへの対応についてキミはどのように感じたでしょうか。具体的に、阪神淡路大震災の時のペットへの対応について、私はこのように考えます。万一大地震が起こったら、とりわけ室内で飼われたペットの場合、家族間で判断を任せるキーパーソンを決め、救助の出来る出来ないを決定してもらうのです。仮に危険を冒してまで助けられないと判断しても、責任を追及せず、家族の無事を喜ぶべきだと思います。きっとペット自身、「毎日、十分な愛情を注いでもらっていたから、自分のために命を落とさないで安心した」と天国で思っているはずです。
ここで大事なことは、動物の心を読む感性があるかないかです。獣医師は言葉を喋らない動物の病気を、診断し治療します。獣医学科を目指すキミは、日頃から物言わぬ動物の立場になって物事を考えてほしいのです。
次に、動物が好きなのは当然ですが、人間も同時に好きでなければなりません。それは、特に小動物臨床の場合、飼い主の誤った飼い方によって病気になることが多く、この問題は飼い主の性格が大きく影響しているからです。ここで獣医師は、言葉を喋らない動物の立場になって、飼い主の誤った考え方、つまり性格をも軌道修正するのです。愛情の込もった言葉にしか、人は耳を貸しません。だからこそ、獣医師は人間も好きでなければならないのです。
最後に、6年間は長いと思いがちですが実際に卒業してみると、まるで小学校の6年間と同じぐらい、あっという間でした。それだけ、大学の内容が濃く、一般の大学では味わえない思い出や多くの友人に恵まれた、素晴らしい学生時代だったと思います。獣医学科を目指すキミに今一度、具体的にどのような獣医師を目指すのかを明確にし、その獣医師像に向かって学生時代を過ごし頑張ってほしいと思います。
1993年度卒業式(当時の中村経紀学長)