第12回
プロ家庭教師十人十色
当学院の誇る家庭教師が語るプロ家庭教師の実像 その③
一般的に、塾や塾講師の評判は聞くことはあっても、家庭教師の評判や情報については容易に入ってこないのが実情でしょう。そこで、学院のプロ家庭教師に、通常はあまり知ることのできない、指導方法、考え方、思いなどを直接に語っていただき、プロ家庭教師の実像に迫ってみたいと思いました。ここに登場する家庭教師は、二代目ふくろう博士の私が自信をもって推薦した先生方です。 (もちろん、学院には他にも素晴らしいプロ家庭教師がまだまだ大勢います)
生徒それぞれに個性があるように、ここに登場する先生方も個性豊かな、魅力ある方々です。先生方には、
①プロ家庭教師とは、日本家庭教師センター学院と他の家庭教師センターとの違いは、家庭教師の資質とは、②ご自身のアピールポイントは、③生徒にもっともつけてほしい力は、④印象に残っている生徒とのエピソード、などについてお尋ねしましたが、その答え方も十人十色で、文章中にその問いに対する答えを書かれている先生もいれば、自由に独自のスタイルで原稿をまとめられた先生もいます。それこそ、十人十色です。もし、自分の子どもがプロ家庭教師の指導を受けるとしたら、どの先生に依頼するか、そんなことも考えながら読んでいただければ幸いです。
森崎 清美先生
その子の家は、駅前ロータリーから放射状に伸びる何本かの並木道の一つに面して建っていました。小中高一貫教育の有名私立小学校に通う5年生で、中学への内部進学ができるかどうか危ぶまれている状況でした。
この小学校は中学高校のように定期テストがあり、本人の成績はクラス内で下から数えて 2、3番。学校の担任から、「このままだと中学進学は無理であり塾へ通わせるなり家庭教師をつけるなりして成績を上げるようご家庭で手を打ってほしい」と言われたようです。
お母様からの要望は、とにかく中学進学に向けて学校の授業についていけるようにして欲しい、また特に算数は手も足も出ない状態なので定期テストで少なくとも平均点の半分を取れるようにして欲しいというものでした。
その子W君はとても素直で優しい子なのですが、一人っ子ということもあってか誰かと競争して頑張るとか歯をくいしばって耐えるという経験のほとんどない子でした。自分から進んで勉強するということは勿論ないけれど全く拒絶しているわけでもない。特に目的意識を持って勉強した経験がなく、漠然とではあるが自分は勉強には向いていないと思っており、勉強に対して劣等感を持っている。学業不振の子によくありがちな状況でした。
何回か授業をしてみてW君に基本的な理解カや論理的な思考カがないわけではないと実感した私は、まず、この劣等感をなんとかしないとできるものもできなくなってしまうと感じました。そこで劣等感を払拭する、自信をもたせるという点に注力しようと考えました。
自信を持てない、根拠のない劣等感をもっているということは、第三者に認められたり高い評価を受けたりという経験がないことに多く起因しているという私の考えから、極力ほめることを徹底してやってみました。
写真はイメージです
“ほめほめ作戦”の開始です。小数と分数の混じった計算問題を間違えても叱りません。どこを間違えたかを自分で探させて自力で直すまで口を出さないで我慢します。時間を充分与え、本人が試行錯誤するのを見守ります。これがけっこう辛い。さっさと間違いを指摘して先に進んだほうが楽です。
しかし間違いやケアレスミスは宝の山。自分の誤りを自分で直せるようになれれば大きな成長です。その成長のチャンスを奪ってはいけない、と、ぐっと堪えます。時間も忍耐も必要です。
初めのうちは5分過ぎ10分経過しても自力では自分のミスを見つけられません。W君もなんとなく無力感を釀し出し始めます。このままでは埒があきません。仕方なく計算式の正しいところまでを示し、「ここまではあってるよ」とヒントを出します。自分で書いた式を自分で疑い自分でチェックするのは簡単そうでなかなか難しいものです。どこまでが正しいのかを示されればW君もなんとかその先は自力で進めます。本当はヒントなしで自分の誤りを見つけ出し 自力で直せなければあまり意味がないのですが、それでも正解にたどり着くまでにはW君にしてみれば悪戦苦闘しているわけです。できた時は、「自力で自分の誤りを直すことはロで言うほど簡単なことではないよ。きょうは良く頑張ったね」と、はっきりとその頑張りを評価してほめます。
私は常にW君の過去と現在を比較して、過去よりも現在の状態が良くなった場合にほめるようにしました。他の人との比較ではなく、本人の過去と現在の比較です。一週間前にはできなかったことが今はできる。「先週はできなかったけど今日はできたねえ。立派」一ヶ月前は宿題を出しても半分もやれなかったのに今はなんとか全部できている。「ずいぶん時間かかったんじゃないの?全部やれたじゃない。感心感心」直接本人に面と向かってほめることも多かったのですが、わざと間接的にほめるという手も使いました。お母様に電話でその日の授業でのW君の頑張りを伝え、「きょうの授業よく頑張ってた、って先生が仰ってたわよ」と、お母様を経由して本人の頑張りに対するほめ言葉を伝えるのも案外効果があるものです。家庭教師の私に自分がほめられ、そのことで喜ぶ母親の様子を見て、本人も気分がいいはずです。
写真はイメージです
ほめるということは、その子の頑張りに対して高い評価を与えてその努力を認めてあげるということですが、それだけでなくなお一層の頑張りを期待するためでもあります。“今まで”を高く評価し、“これから”を期待することです。“ほめほめ作戦”をスタートするとき、お母様が不安げにこう仰いました。
「うちの子はほめたら天狗になってしまいます」
「それでいいんですよ」
私は確信をもって答えました。ほめられて気分の悪かろうはずがありません。天狗にもなるでしょう。しかし天狗になっていられる時期はそう長くは続きません。成績も上がりっぱなしというわけにはいきません。成績が下がれば、頑張って成績を上げて良い気分だった自分と、天狗になって怠けたため成績が下がった自分とを見比べて惨めになります。( あのころは良かった・・・)と、そう思ってくれたらしめたものです。(今の自分を変えなくてはいけない。自分は変われるんだ )と思えることが大事なのです。
何回かこの上がったり下がったりを繰り返すうち、いろんな場面で( 自分にもできていいはずだ )と思う部分が出てくるものです。実際、W君の場合も、三か月ほど過ぎると一度やった 問題や説明を受けたところができなかったり忘れていたりすると、自己嫌悪というか自分を情けないと思う気持ちが心の中に生まれているのが私にはわかりました。これは大きな心の成長です。
勉強に興味を持てない子というのは試験の結果に関心を示しません。指導開始当初のW君もそうでした。学校での小テストや単元テストの成績自体は多少気にはするのですが、それは成績が悪いと単にお母様に叱られるからであり、自分が頑張った成果が成績となって表れたかどうかを気にしてのことではないのです。
普段一緒に勉強している時にはできる問題でも試験本番では緊張のためかミスを連発します。しかも同じミスを。どうしたものかと悩んだ私は、“バッテンノート”を作ることにしま した。間違えた問題をノートの左側のページに写し、右側にはどこでどういうミスをしたのかを本人に書き込ませて通し番号をつけていきます。
写真はイメージです
W君のミスパターンがこの“バッテンノート”に書き込まれていくうち、自分の犯しやすいミスに対してW君は敏感になり、自分が書いた答えを自分でチェックする目を持つことができるように徐々に変わってきました。これは大きな収穫でした。自分が書いた答えなり途中式なりを自分でチェックする目を持つということは客観的に自分の考えを見直すということです。
難しい問題を解くこと以上に自分の守備範囲の問題を正解することのほうがW君にとっては大切なことでした。
我々家庭教師の仕事は、生身の人間が相手です。生徒は性格もその資質も千差万別。だからこそ生徒の現状に応じた指導が求められます。W君の場合、ちょっと長い文章問題になると話ことばでの説明や解説だけではなかなか問題の意味が頭に入っていきません。一を聞いて十を知るというW君ではありません。十聞いても頭に残るのは、二か三。
そこで、罫線のない少し大きめのノートを黒板に見立てて、ポイントになる言葉や式を走り書きで書いたり、問題の内容を図や絵に描いたりしてW君の思考スビードに合わせようと考えました。口頭での授業だと、つい教える側のスピードで進んでしまいます。ノート黒板を使って話の内容を幾分かでも目に見える字や図、絵にすることで時間的余裕が生まれ、W君の理解の助けになったようです。
テレビやラジオというのは情報を得るメディアとしてはそのスピードと量においてたいへんな威力を発揮しますが、見逃したり聞き逃したりすると見直し聞き直しはできません。主導権は情報を得たい我々の側にはないのです。一方、新聞や書籍は情報量はともかくスピードの点においてテレビやラジオに遠く及びませんが、繰り返し見たり繰り返し読むことが可能であり、 あくまで主導権は我々の側にあってこちらのペースで情報収集できるというメリットがあります。
ノート黒板を使うことにより、以前書かれたことを見返したり話の内容を視覚的に捉えることができるようになり、W君の反応もだんだんと良くなっていきました。本来的に能力のない子ではないと思っていたのですが、本人のペースに合わせた指導がW君にはフィットしたらしく、6年の夏休みころまでには内部進学にはほぼ安全圏のレベルにまで達していました。
翌年4月、通っていた小学校と同じ襟章をつけ、お母様と一緒に校門の前でにこやかに笑うW君の写真を受け取りました。