(1) 人生の後半は生きるに値するか
人生は50前後を過ぎると、肉体の衰えとともに気持ちが萎えやすくなり、介護や相続などで心を悩ます日々になりがちである。人生100年時代と言われているが、果たしてこうしたつらい思いのまま生き続けることに意味はあるのだろうかと、誰しも疑念を抱いてしまうだろう。 そこで私は、いかように人生後半を考え、生きていったらよいかという切実な思いを、ここに伝えたいと思う。
(2) 私の人生「後半」観
昔から私は、特に人生の後半に入ってからは、生きることの意味を常に自らに問い続けてきた。それは 私が若かりし頃、知人、および友人に(事件、事故で)死なれてしまい、人一倍生と死を身近に感じるようになったからだと思う。そのトラウマに負けないようにするには、人や生き物に深い愛情(慈愛)をもって接することでしか克服できないと思うようになっていった。人生の後半を過ぎ、「死期」が彼方に見え始めると万物、とりわけ小さきもの、弱きもの、病めるものなどを憐れみ労わるようになっていったように思う。
また、人と常に笑顔で接することは、多くの友人、仲間を作るきっかけになる。特に定年を迎え、仕事を失った高齢男性は孤立しがちとなり、鬱になってしまうこともよくある。日本の高齢男性の自殺率が高いのも、孤独と何らかの関係があると思われる。人は一人では生きていけないからだ。相手の気持ちを掴み、友達を多く作れるかどうかが、人生後半の生き方を左右すると言っても過言ではない。
(3) わたしの日々の生き方
私は人生を充実したものにするために、1知力 2財力 3体力の「三力」の強化・涵養を図っている。とりわけ3番目の体力の強化が大事だ。人生の後半は肉体の衰えが著しくなり、それに合わせて精神力も脆くなり、物事を悲観的に、ネガティブにとらえがちになっていく。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言われるように、生きる気力、気迫は健やかな肉体あってこそだ。適度な運動が求められる所以だが、私は毎朝のランニングやジムでの筋トレを日課にしている。同時に食生活にも気を配り、肉食を避け「粗食にして小食」を心がけている。常に空腹状態、つまりハングリーであることが、物事への挑戦に対してのエネルギーとなり、気力を充実させる。こうした肉体、気力を維持していくことが、翻って人に、万物にやさしくなり、慈愛の気持ちをもって接することにつながるのだと思う。
(4) 目標になる人たち
郷ひろみさん:68歳とは思えぬほど若さいっぱいに歌い、踊る姿。
大谷翔平さん:偉大な野球選手でありながら、常に謙虚でかつ明るく、他人への何気ない思いやりにあふれた姿。
国枝慎吾さん:グランドスラム、車いすテニス部門で前人未到の50勝を達成した偉業とそこまでの努力、またそれを感じさせない明るい姿。
三者に共通するのは、不屈の精神で成し遂げた努力、見るものを勇気づけ元気にする明るさである。自分も、及ばずながら見習って、毎日生き生きと過ごしていきたい。
(5) 最後に
今の時代も、私たちの後半人生も生きづらいのは確かだ。しかし、何もしなければ、ただ肉体も気持ちも朽ちていくだけである。肉体を鍛え、気持ちを強くしていけば、自ずと万物に優しくなり、愛するようになり、自分の心も豊かになっていく。そして、日々充実した人生になっていくことだろう。これこそが今回のテーマ「生き急ぐ」=【生を充足させること】なのである。
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