大学在学中から本学院で研鑽を積み、幾多のご家庭とご縁を結んで、受験生のお力添えをしてきました。娘の中学入試に当たり、プロ家庭教師の経験を生かして全力でサポートに尽くしましたが、実際母親の目線になると、仕事では当たり前のつもりで言ってきたことが、その通りにはいかないという事態に何度も直面しました。
そんな体験の一端を、皆様の参考にしていただけたら幸いです。
娘は現在、第一志望校に通っています。第2志望は雙葉、第3志望は浦和明の星女子(浦明)、第4志望は市川でした。初戦の浦明がダメだった場合は、江戸川学園取手東大コースを受ける予定で願書だけは提出しました。
娘が、中学受験をスタートさせたのは、4年生の5月からです。娘が早稲田アカデミー(以下、早稲アカ)の雰囲気を気に入ったことから、娘の気持ちを優先して早稲アカに決めました。車での送迎が必要だったので大変ではありましたが、この娘の決断は非常に良かったと思います。
当初、早稲アカで受講したのは算数のみでした。何故なら、夫が受験に大反対だったからです。
低学年の頃から、受験のことで夫とは何度も喧嘩をしておりましたが、4年生になり、受験のスタートが待ったなしの時期になりましたので、夫と意見をすり合わせることになりました。
夫の条件は
・受験するのは偏差値65以上の学校
・塾では常に最上位のクラスに所属
・4年のうちから遅くまで塾に行くのは反対
・塾代は負担しない
・できれば、女子校ではなく共学を受験させる
・本人が嫌になったら、受験は即中止
等々、そもそも反対だったので、言いたい放題の条件を突き付けられました。
夫が全面的に賛成であれば、多くの受験生のように4科目全てを塾で教わり、分からない問題のみ私がサポートするという形がとれたのですが、そのような背景がありましたので、早稲アカで算数を教わりつつ、その他の教科は予習ナビ+私の指導で学習するスタイルにしようと思いました。予習ナビとは、四谷大塚が通信コースとして行っているもので、予習シリーズを使った授業を映像化し、ネットで受講できる形になっているものです。
このインターネット授業については、向き・不向きがありますが、娘にとっては非常に合っていたので、入試直前の9月頃にスタディタウンのインターネット授業も併用致しました。こちらは、 首都圏
110校の過去問を映像授業で解説する『10倍分かる過去問』などの教材がとても有効でした。
受験生の母になるまで、ブログとは無縁でおりましたが、4年の12月ごろからアメーバーブログを始めました。最初の理由は、情報収集でした。ブログを書いているのは、中学受験生を持つお母さん、中にはお父さんも・・・が日々の生活の状況からテスト結果まで赤裸々に綴っているので、本当に参考になりました。
家庭教師の仕事で中学受験に携わっていたとはいえ、塾の細かなシステムなど分からないことも多く、記事を読むことによって、学校の情報、生の声を知ることができたのは助かりました。また、同じような悩みの記事には「うちだけではなかったんだ」と胸をなでおろしたりしていました。中学受験生を持ってから、つくづく痛感したことは、「中学受験生の母は孤独である」ということです。受験が終わるまでには、腹を割って受験のことを話せるママ友が何人かできましたが、4年の段階ではゼロでした。後にこのブログを通じて、早稲アカに所属しているお子さんを持つ、何人かのママ友と知り合うことができました。彼女たちの中には、数年前に既に中学受験を体験した先輩ママがいて、受験以外の悩みにも親身になってくださり、本当に心強い存在でした。
最後まで娘を支えることが出来たのは、本当に、本当に彼女たちのおかげです。
この誰かに支えてもらうということが、受験を成功させるかどうかという大きなキーになると思います。受験が終わって、つくづく思うのは、この支えるという役割を担っているのが、家庭教師だということです。受験生を支えることはもちろん、中学受験の場合、保護者の方を支えることが、家庭教師の一番の仕事ではないかと思います。受験生の保護者の心に寄り添うということの重要性については十分認識し、実行してきたつもりでいましたが、今改めて思い返しますと、寄り添っていたつもりが上辺だけのこともあったのではないかと痛感致します。
例えば、家庭教師をしていた時、「模試の結果に一喜一憂しないで下さい。○○ちゃんへのプレッシャーになりますし、1回1回の模試を気にしていたら、受験まで長丁場ですし、身がもちませんよ」などと話していました。これが大間違いだったと気づいたのは、自ら受験生の親になってからでした。一喜一憂しないなんて、絶対に無理な話です。模試の結果を気にしないなんて、絶対無理です。
早稲アカでは、月に1度、四谷大塚の公開組分けテストを受けることになっております。その成績次第で、塾でのクラスが決まりますし、順位や偏差値なども気になります。
どれ程気になっていたかと申しますと……まず、模試の日の帰宅後、夕食作りはそっちのけで、 PCを立ち上げ、インターエデュのサイトを見ます。そうすると、他の受験生の保護者の方が色々と書き込みをされているわけです。「前回より算数は難しかったけど、国語は出来た」とか。中には、今回の平均点予想などを書き込む方がいらして、すでにこの段階から一喜一憂していました。今回は出来が良さそうだと思えば、ウキウキしながら夕食を作りましたし、ボロボロであろうことが予想できた時などは、夕食を作る気にもなれず、一気に疲れが出て、すぐに寝たくなりました。そして、翌日のお昼頃にまず素点が発表されますので、もう10時半くらいからソワソワしていました。素点が発表されたら、またインターエデュ。そして、アメブロで読者登録をしているお子さんたちの結果を見る。 さらに、次の日の夕方に偏差値と順位が発表される、という感じでした。模試の日を含めこの3日間は、ぐったりでした。
そのような経験を積んだ今なら別の言葉をかけさせて頂けると思います。
「模試で一喜一憂するのは、どの親もそうです。感情を抑えるというのは、なかなか難しいですし、かえってストレスになります。良かった時は、どうぞお子さんと喜んでください。悪かった時は、その辛さ、はがゆさ、怒りなど全て私にぶつけて下さい。ぶつけた後は、一緒に悪かった点を分析して次に繋げましょう。」と。
早稲アカの入塾テストですが、確か国語は97点、算数が50点くらいだったと思います。そのような点数でしたので、2クラスあるうちの下のクラスからのスタートでした。当初の目標としましては、3か月以内に早稲アカの上のクラスに上がること、四谷大塚の C コースに上がることの2点でした。
四谷大塚は、組分けテストの結果によって、3段階のコース、上から C・B・A となっています。娘が初めてうけた4年5月のテストでは2208名の方が受験されていました。恐らく1位から500位くらいまでが C コースだったと思います。初めてのテストは、塾の体験授業を少し受けただけで、ほぼ何も勉強しない状態で受けまして、ちょうど偏差値50でした。2回目の6月のテストは、授業を受け、勉強していったので少し上がりましたが、Cコースに及ばず。そして、3回目のテストで、念願の Cコースに上がることが出来ました。この時点で、早稲アカで上のクラスに上がれると思っておりましたが、夏期講習を受講しなかったからか、もう少し様子を見てからというご判断だったからか、据え置きのままでした。初めての夏期講習については、受験に反対していた夫が娘を連れて半月ほど帰省したいということで泣く泣く見送り、予習ナビだけ受講しました。
結局、4年の夏休みは大した勉強もせず、過ぎていきました。その結果、8月末に受けたテストでは Bコースに落ちてしまい、3か月以内に早稲アカの上のクラスに上がるという目標は達することが出来ませんでした。この状況に危機感を感じ 9月に奮闘した結果、10月のテストでは Cコースに返り咲き、早稲アカのクラスもやっとアップすることが出来ました。
この時期に、娘からの強い希望もあり、算数の他に娘が大好きな国語を受講することにしました。国語については、結局半年ほど受講しましたが、比較的国語が得意であったため、国語の時間を不得意の算数に回した方が効率的だと判断し、辞めました。
早稲アカでは、4年の入塾時から6年の12月まで算数を受講しました。理科は、6年の4月から6年1月まで受講しました。社会は 4年と5年の冬期講習の時にしか受講しませんでした。(※NNの授業を除いて)
長期のお休みの時の講習(季節講習)は、娘が苦手な分野の総復習をしたかったこと、友人から譲って頂いた SAPIXの教材を勉強させたかったことなどの理由から、必要最低限しか受講させませんでした。4年のうちは冬期講習のみでしたし、5年は夏と春の講習は算数のみ、冬期講習だけ 4科目を受講させました。
早稲アカでは、5年生の4月からもう1クラス増えて3クラスになりました。最上位クラスは、SSクラスといい、御三家や渋幕を目指す子のクラスでしたので、4月の立ち上げの時からぜひ籍を置きたいと、3月の組分けは本当に頑張りました。頑張った成果が表れ SSクラスに入れましたが、どんな成績でもずっといられる訳ではありません。組分けテストで 4,500人中、1000番以内に入れないことが2回続くと下のクラスに落とされるので、組分けの前は毎回ピリピリしておりましたし、毎月、組分けテストが終わって教室から出てくる瞬間の娘の表情を見るのが、本当に怖かったです。
5年生は新しい内容が毎週、毎週これでもか・・・というくらい出てきたので、受験生活の中では、一番大変な学年だったと思います。特に5年の2学期は、勉強の負担も大きく、また、小学校の行事やら志望校の文化祭巡りなどもあり、アップアップの状態でした。
この頃になりますと、いよいよ志望校を絞っていかなくてはならない時期に突入します。
志望校選定までの道のりは割愛致しますが、娘が初めて自分の口から「ぜひ行きたい」と言った学校、雙葉中学を第1志望に致しました。
6年に入りますと、4月より志望校別特訓が始まります。娘は NN雙葉のコースを受講し、大変綿密な対策をして頂きました。雙葉は記述がとても多い学校ですので、採点基準が非常に気になるところです。その対策として、雙葉に通っている NN雙葉の OG生に中間テストを塾に持ってきてもらい、そこからどのように採点しているかを研究されたり、合格発表の日に合格者全員に復元答案を作成するよう依頼し、復元答案集を作って下さったりしていました。これが本当に役に立ちました。算数は、式や図の書き方、国語はどのように表現しているか・・・
他には、「雙葉の日」と題して、入試当日と同じ時間帯でテストや面談をしてくれました。その時は、5、60名の NN雙葉の OG生の方が制服を着て駆けつけ、本番さながらの雰囲気を作って下さるので、素晴らしい予行練習ができたと思います。
NN雙葉では、雙葉の問題傾向が娘と合っていたせいか、ずっと最上位クラスの1組にいました。
また、サピックスオープンの雙葉模試でも、300名中20位くらいの成績がでましたので、6年の10月頃までは、大変な中であっても精神的には比較的穏やかに過ごせていました。
ただ、ここから予想もつかなった大波乱が起きます。
小学校で、いわゆる女の子トラブルに巻き込まれ、クラスの中で浮いた存在になってしまったのです。居場所がなくなった娘を心配して「休み時間はどうしているの?」と聞くと、「水飲み場まで3往復してる」と言われ、毎日、娘の状況を案じ、何度も心が折れそうになりました。
ここまで色々なことを犠牲にして頑張ってきたのに、一番大事なこの時期に精神的に参ってしまったら、受験すら出来なくなってしまうのではないかと、不安ばかりが募りました。
娘はその精神的疲労から合不合の成績は急降下し、NN雙葉での成績はかろうじて上位を保っていましたが、目に光がなくなり、ミスを連発するようになったのです。
この辺りから、「女子同士のトラブルは嫌だ」と志望校を共学にするべきか、共学でないとしたら、全員が同じスタートラインである附属のない学校を第1にするべきかと、娘と散々悩み、塾の先生にも相談に乗って頂き、12月に第一志望校を変更致しました。
なぜ雙葉ではなく娘の行くことになった学校を第1にしたかと申しますと、一学年の人数が多いこと、皆が一斉にスタートすること(附属でないこと)、そして、入試説明会で聞いた在校生のインタビュー・・・「どんな子にも居場所があるところがわが校の良いところです」という言葉が記憶に残っていたからです。
ただ、1年以上も雙葉を熱望し、NN雙葉でも多くのお友達が出来ていたので、私はどちらでもご縁があれば本当にありがたいと思っておりましたし、娘も気持ちが揺れていましたので、W第1志望と呼んだ方が正確だったかもしれません。
ただし、この2校、出題傾向が全然違います。かたや記述中心、いかに相手に分かりやすく伝えるかが大きなポイントになり、もう一方は、平均点が高くミスが命取りになる学校なので、時間配分や力のかけ具合が異なり、娘はかなり混乱していました。また、出題範囲が大きく異なることも負担になりました。
私自身、スケジュール管理に頭を抱える日々が続きました。1月に急激に伸びる生徒さんもいる中で、ひたすら雙葉対策だけをしている生徒さんと互角に戦えるか。二兎を追う者は一兎をも得ず状態になるのではないかと、随分悩みました。
受験した4校のうち3校については、試験当日の娘の感想が「理科はダメだったけど、算数はかなり良くできたと思う」ということだったので、「おそらく合格できているかな」と思いましたが、雙葉は、たった1題しか出ない1問目の計算でミスをしたと聞いたので、「ダメかもしれない」と緊張しながら合格発表に向かいました。結果、4校すべてどうにか合格をいただきました。
最後に、家庭教師としての蓄積をどう娘に生かせたかという本日のテーマについてですが、
「親が家庭教師である場合のメリットって何だと思う?」と聞けば、おそらく多くの人が「分からない問題を教えてもらえること」と答えると思います。
もちろん、それもありますが、一番は「どんな状況でも前向きな言葉をかけ続けることができる」ということだと思います。テストの結果に一喜一憂もしましたし、ダラダラ勉強をしている娘に腹をたてたことなんて数え切れません。
でも、娘には「ママは日本家庭教師センター学院という立派な家庭教師センターでずっと家庭教師をしていたの。プロの家庭教師は、1月に生徒さんの様子で合格、不合格がわかるのよ。アナタは合格に間違いない。100%の自信を持って言える」と不安がる娘に何度も言い続けました。
もちろん、実際の心の内はそんなことありませんでした。なぜなら、正月特訓で成績が急落したからです。4月から NN雙葉でずっと最上位クラスに籍をおき、順調にきていた状態だったのに直前に来てのまさかの転落でした。NNの先生は、「1度もこのクラスを落ちなければ100%合格する、今までの先輩がそうだった」とおっしゃっていたので、最上位クラスに居続けることにこだわって頑張ってきました。正月特訓が始まる前に一度も落ちてない生徒は娘を含めて数名でした。それが、正月特訓で最下位クラスに転落し、娘は塾で過呼吸になり、私は初戦を10日後に控え、今後どうするべきかを考えて、その夜はほとんど眠れませんでした。
それでも、家庭教師としての経験が物を言い、動揺を隠しつつ、自信満々に娘を励まし続けることができました。
また、その他に親が家庭教師であるメリットとしては、娘の状態を見て、今の段階でどこまで理解できていれば OKかということを感覚で分かっていたことだと思います。
進学塾のカリキュラムは異常なほどハードであり、完璧にこなしきれる子なんて、ほぼいないと言えます。要は、どこを捨てるかということに尽きると思います。それが、家庭教師なら経験上、その子の性格や理解度に合わせて、的確に取捨選択ができます。
そして、もう1点は、第2志望以下の学校の対策ができる、というところでしょうか。
当初の第一志望校の雙葉については、NNで十分な対策をして頂いていたので、安心してお任せできましたが、それ以外の学校は親が対策を練らなくてはなりません。
過去問をただ解くだけでは対策になりませんので、過去問の結果を分析して、あと少しテコ入れすれば取れそうな弱点分野の復習をさせるとか、似たような傾向の学校の過去問から類題を引っ張ってくるなど、娘だけのカリキュラムを作ることができたのは、今までの蓄積のおかげだったと思います。
今こうして中学受験を振り返りますと、塾の先生の他に、マンツーマンで受験をサポートする存在が絶対必要であると思います。その存在が、両親であったり、個別指導塾の先生であったり、時には、私たちのような家庭教師であったりしますが、中学受験がある意味特殊なものである以上、受験に対する知識や経験がある者の支えがないと、なかなか厳しいなと実感しました。
ご両親の場合は、一般的に、父親は仕事に忙しくサポートをする時間がなかなか取りにくいこと、母親は感情的になりがちであるという点を考えると、プロに依頼する有用性を感じますし、改めて、家庭教師の存在意義、使命を再認識致しました。
18歳から本学院に所属し、社会経験もなかった私を育ててくれたのは、初代ふくろう博士こと古川のぼる先生初め、現学院長、ならびに学院の諸先輩方でした。本日の講演をもって、感謝に代えさせて頂きたいと存じます。
|