勉強よりも、まず身体を動かせば頭はついてくる、という感じでやってきた。水泳をやっているから成績が悪いのは、選手としても成長しないとコーチからは常日頃言われていた。小さい時期に、高い目標に向けて勉強を頑張るという訳ではなかったが、学校の平均的な学習は苦痛に感じず、むしろプールの練習よりは、ラクだという感じで授業を受けていた。楽しいと思っていることは、きついけど頑張れる。これは、何事にも通じることだと思う。
ドーバーは、北海道よりもっと北で、夏でも水温が16〜18℃しかない。寒さとの戦いに慣れるため、日本では11月位から海で練習を始め、1月2月の寒い中泳ぐ。確かにつらいのだが、やめたくともやめられない身体に自然となってくる。心の中で100回数えたらやめよう、と思っても、身体が機械的に動く。イギリスの現地ではいろんな国から来た人達との交流もあれば、日々の生活も楽しかった。
ドーバー海峡横断は大学3年で成功したが、3度目の挑戦だった。
大学1年で、自分が何をやりたいか考えた時、たまたまギネスを見たら、英仏海峡横断記録があった。地図上で見るとたった1?pだが、そこに2000人位の人が挑戦し、成功者は200人以下。歴史的にすごい中で、やったことがあるというだけでもいいかな、と思えた。
1回目は11h泳いだ内、7h位から意識が朦朧としていた。1hごとに、立ち泳ぎをしながら流動食を受けるのだが、「さっき飲んだのにまた?」と思っていた。後で聞くと予定どおり1hごとの補給だった。その間、意識が低体温でとぎれとぎれだったようだ。その時はただ、失敗して着かなかったことより、全力を尽くしたことがすごくて、船からあげられ意識が戻った時、今堅いベッドに寝ていること自体が嬉しかった。
体調のことを心配し、言葉にならない日本人スタッフ。一方、英国人スタッフ(船の乗組員や審判員)は、「こんなに頑張ったから、次は成功するさ。次いつやる?」。
2週間後に再挑戦。2回目は、8h泳いだ時に、コーチから、「後6hで潮の流れが変わる。それまでがんばれるか?」と聞かれ、もう無理と自分の意志で泳ぐのをやめた。船に上がるとフランスの大陸が見え、この時は「悔しいなあ!」と思ったが、再びスタッフたちの「また、来年会おう!」という前向きな励ましに、気持ちを切り替えその気になった。
実際に、体験することでドーバー海峡の難しさを体で知ることができた。翌年のために何が足りなかったかを考え、練習量も増やし、痛みが出た部分の筋力強化など気持ちを新たに練習をすぐ再開した。アメリカの水泳科学者、故カウンシルマン博士と直接出会え、アドバイスをもらえたのも、翌年の成功へのモチベーションアップにグンと繋がった。
自身もドーバーを泳いでいて当時の最高齢記録、58歳での完泳を樹立。コーチングの講演で来日した時に、直接、彼の成功した映像を見せてもらい、ゴールの瞬間を毎日5分イメージトレーニングするようにとアドバイスをもらった。水泳の方の練習も着実に重ねて行くうちに、本当に目をつぶるとゴールシーンが簡単に出てくるようになっていった。実践とメンタルが合うと、そんなことができる。
いよいよ3回目。できることはすべてやっても、その日天候が凪いでないとスタートできない。7月の27日位から待機して、毎日、「明日は天候がよくない」と3日ほど言われ続け、どんなことがあれ泳ぎたい気持ちになっていた。
そして迎えた7月31日。泳いでいる最中は余計なことは考えず、「ただ手を動かしていれば、いずれフランスに着くだろう!」という心境だった。流されかかった時、伴走陣営の作戦か、どんどん船を先へ進めていく。「疲れてきたのに、速く泳ぐのやだなあ!」と感じながらも、「船が行っちゃう!じゃあ、船まで泳ごう!…また船が行っちゃう!(笑)」という感じで、チームワークの勝利で、ゴールとなった。
大学卒業後は1年間の出版社勤務経験の後、フリーランスを経て、別の出版社でスポーツの奥深い楽しさを紹介していく仕事に就いた。
その後中南米を1年間旅して、「豊かさって何だ?」と考える契機になった。お金がなくても、日々を誇らしく明るく楽しく生きている人々がいた。ヨーロッパからのバックパッカーたちとの交流では、海外放浪も自国に戻った時、キャリアとして認められると聞いた。
しばらく水から離れ、もう水泳はいいと思っていたのが、自分の得意なことを生かして自分の人生をデザインしていくのもいいなとも感じられた、有意義な1年だった。
帰国後、障害を持った人たちのためのプールのプログラムの仕事もして、その団体の、顧問だった当時横浜国立大の小林好文教授との出会いがひとつの転機となる。体を動かす楽しさを通して、全面的な発達を、という「ムーブメント教育」の第一人者だ。
楽しいことがいかに人の力を引き出すか。思わず自発的に行動したくなる「楽しい刺激」「楽しくなる環境」を作るかがカギ。苦しそうに泣きながら「痛み」のともなうリハビリや、我慢を超えて、繰り返し頑張っての機能改善、というのではない方法があるだろう…という発想だ。カラフルな遊具、音楽とともに、仲間と共に。重度の障害があって体が動かなくても、毛布を使ってブランコみたいにしてあげるなど。できないところを重点にするのではなく、楽しく、「できること」を引き出していく。動きそのものを学び、動くことを通してどういう感情になるかを学んでいく。
どんな人でも、スモールステップで、ひとつひとつできることを積み上げていけば、ものすごく可能性がある。障害がある人の水泳とか、高齢者のための水泳ではなくて、水泳というスポーツの方が大きな枠であり、その中でそれを楽しむ人にいろんな人がいる、という考え方に触れ、大変共感した。こういう分野があるのかともっと世界の様子を知りたく思い、ほんの一年くらいのつもりでオーストラリアへ家族で渡った。夫も、私の学生ビザで配偶者ビザが取れ、3歳になり立ての息子とともに、期間限定での語学留学だった。
初めは語学学校に通いながら、いろいろ現場が見られたら…と思ったが、物足りず、レジャー学のある大学に入学。
そこで出逢ったのが、チクセントミハイのフロー理論である。フローとは、人が楽しいと思っている時の心理状態。どんな時でも、何かに没頭して、それがチャレンジングであり、自分が成長していくことにつながるものは、心の状態が「楽しい」ということになるという。それはソファーに寝そべってただ楽に身体を休めているのとは違う。
ドーバーを泳いだ時、挑戦した3度とも楽しかったのだが、楽しいと人に言ってもなかなか理解してもらえなかった。それが、フロー理論で証明された気がした。
目標や課題が自分のレベルと合っている時は楽しい。挑戦の度合いが高すぎると不安であり、逆に低すぎると退屈になる。
本当の楽しさは、フローを感じること。このことを知って、自分の生き方に納得がいった。楽しさは伝染する。どこまでやれるかは、やってみないとわからない。だったら、まずやってみれば?ということに尽きる。
今の自分は、寒いつらいところで泳いで歯を食いしばることではなくて、沖縄などのきれいなところで魚を見ながら「楽しいですね〜」と、つい海が好きになる、というような、大人の楽しい遊びを実践中である。「水泳と出会ってうれしい」「楽しい!」「海を知って楽しい〜」という人たちがたくさん増えていくことに、自らも楽しみを感じている。
|