[1] 指導の技術的側面
学年を問わずどの科目にも教えるにあたり、難しい部分が必ずある。生徒なら誰でもつまずく所、理解や暗記にひどく時間がかかる分野など、教える側に深い知識と教える技術が求められる。しかしそれも家庭教師側の努力、工夫次第で視界は開ける。今回はその例として、英語の発音と歴史の指導技術のポイントを取り上げてみた。
1 英語の発音の指導
発音ばかりは日本人の教師が教えるには限界があり、ネイティヴの発音を学ぶに越したことはない。しかし常にネイティヴがいるわけではないので、勢いテープやDVDなどに頼らざるを得ない。しかし市販のツールを用いてもあまり生徒は乗ってこず、(もともと日本人は外人の口真似などしたがらない)効果は薄い。そこで一工夫して、自分が出演のテープを作ってみた。ネイティヴをゲストとして招き、自分の司会・進行で発音してもらう。同じこの手のテープでも、自分の先生が「出演」して皆に語りかけるとなれば、その効果は大きい。事実「愉しい!」「分かりやすい!」などの声が上がった。中には「先生、この時超若い!」というのもあった。もっともこれを作るには、米国人を自分の「家庭教師」としてつけ、マンツーマンで習い、そして深い付き合いがあったからこそ可能になったのではあるが…
2 歴史の指導
中学校まで歴史好きだった私は、高校に入った時世界史・日本史の授業が楽しみで、学習意欲に燃えていた。ところが実際の授業といったら、それはつまらないもので呆然としてしまった。先生がただ教科書を読むだけで、(しかも下を向いて)歴史の持つ醍醐味や迫力、はたまたロマンなどいっこうに伝わってこない。それどころかお経でも聴いているかのようであった。
立場が変わり自分が教える番になった時、あの高校授業の轍は踏むまいと思った。教科書を読むだけなら教師は不要だ。大事なことは生徒たちに歴史は面白い、分かり易いと思ってもらうことだ。かの有名な池上彰先生ではないが、「そうだったのか!」とうなずいてもらえなければ、家庭教師の授業ではない。
ではどうするか。教科書を読むのではなく、自らの言葉で語ってあげることだ。池上先生も本を見ながら話してはいない。生徒の顔を見て語るには、歴史に通暁するだけではなく、歴史の舞台に実際に立って往時の栄華を偲び、民族の興亡・栄枯盛衰を肌で感受してみることに如くものはない。そうでないと歴史は自分の血となり、肉となることはない。自らの目で見、感じたことを伝えることほど、インパクトのある歴史授業はないはずだ。歴史は机上の学問ではない。お金と手間隙をかけて歴史の舞台を見、感じて、そして自分なりの解釈を持って、初めて歴史は教えられるのである。むろん、歴史の授業は講談でも教養講座でもなく、暗記せねばならないことは山ほどある。しかし、先ずは興味をもって臨まない限り、前には進まない。
[2] 指導の心構え
教える生徒には様々な子がいる。ただ、素直で出来がよく、全く問題がない子というケースは皆無に近い。みな何某かの問題を抱えている場合がほとんどだ。だからこそ家庭教師に依頼が来るわけだ。とりわけ「勉強拒否」や「引きこもり」の生徒は、近年増加の一途にあり、指導上の専門知識以上のものが求められるようになっている。そこでその2つを例に挙げ、そうした場面で自分は実際どう臨んだのかを述べてみたい。
1 勉強拒否の例
高校2年の男子生徒で、親が子供の意見・意思を無視して、家庭教師である私をつけたことがあった。生徒は全くやる気がない上に、自分の意思を無視されたので、授業に行っても頑な態度で私を拒む。なんとか心を開いてもらえるように学校の話、部活の話などから取っ掛かりを掴もうとしたが、剣もほろろの反応であった。
もはやこれまで、とあきらめて帰ろうとしたとき、部屋の隅にふと目に留まったものがあった。「これは?」とたずねると「サンドバックだよ、俺キックボクシングやってんだ」という返事。私に一条の光が射した。「叩いてもいいの?」と聞くと「もちろん、先生」とにんまりした返事。腕に、いや足に覚えのある私は、おもむろに上着と靴下を脱ぐと、いきなり「華麗な」回し蹴りを決めた。衝撃が家中の壁を揺るがしたと同時に、それは生徒の頑な心をも揺るがした。「おー!先生、やるじゃん!」この「一蹴り」で彼は私を「見直し」、素直に言うことに耳を傾けてくれるようになったのである。
2 引きこもりの例
高3の女子の例は、学校でのいじめや複雑な家庭環境のせいで、転校後そのまま不登校になってしまったケースだ。大学には行かせたいという母親の要請で、私が伺ったのである。「授業」だけは臨んでくれるのだが、ほとんど反応がない。易しい英文法から入ってもまるで理解していない様子。ほとんど授業にならずあきらめかけたところ、本棚にケーキ本を発見。
翌週これで最後かとも思って、ガトーショコラを私が自ら作って持っていったところ、別人のように「これ美味しい。先生、自分で作ったんですか。どうやって作ったんですか」と質問が集中。二人でガトーショコラを食べつつ、料理の失敗談を話すと、なんと顔に笑みが!童話にあった「笑わない王様」を笑わせたかのような気分。笑ってくれればもう「しめたもの」とばかり、パティシエ談義をひとしきり。その後、紆余曲折はあったものの受験までこぎつけ、無事合格した。
この2つのケースはいずれも、「キックボクシング」と「手作りケーキ」という余禄がアイスブレークの決め手になったと言えるが、これは偶然ではなく、私の中の「戦術」の一端を効果的に発揮させた例であるとご理解いただきたい。
当学院の創設者・古川のぼる名誉院長は、<プロ家庭教師たるには「学者」たれ、「医者」たれ、「記者」たれ、「易者」たれ、「芸者」たれ、「役者」たれ>と私どもに訓示した。
私自身、教師としての学問は無論のこと、文化、教養、芸能、スポーツ、あらゆる分野に通暁すべく日夜奮闘努力しているが、その過程でいかなる生徒にも対応できる「能力」「資質」「余裕」が培われてくるのだと信じて疑わない。
自らがどこまで<学者・医者・記者・易者・芸者・役者>になれるかで、期待される家庭教師像への思いが、澎湃(ほうはい)として湧きあがってくると言えよう。
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