(1)私たち家庭教師が最も必要とされる時とは
勉強嫌い、学習方法がわからない、前向きになるモチベーションがわかない、得意科目を深めたいなどいくつか考えられるが、私たちにとって最も大きな課題であり、需要として求められるのは、「苦手科目を克服したい時」だろう。
生徒自身も進路のために必要性は承知しているけれど、抵抗感の大きな壁が立ちはだかる科目への対策である。
ここでは、「理系学部を志望する大学受験生にとっての英語」「中学受験生にとっての算数」が苦手科目である二つの場合について、考えてみる。ただし単なる勉強全般や努力することに嫌悪感が強い場合とは区別して考えたい。
(2)理系志望者が英語でつまずく時
?@質問「なぜ数学が好きですか」
Aシンプルだから。 B根本から考えられるから。
C単なる暗記ではなく、理由が考えられるから。
?A質問「なぜ英語が嫌いですか」
Aむやみに暗記しなければならないから。
B文法には理由のない例外が多いから。
C言葉をどのように使うか場面への想像力が働かないから。
D直訳を日本語に意訳して読み取るルールが曖昧過ぎるから。
?B「好き嫌いの理由に痛いほど共感しつつ探る、数学と異なるアプローチ法」
嫌いな理由C,Dは国語の学習法とも大いに関係がある。言語とはそもそも人間の営みの生きた道具なので、「勉強」のために存在しているわけではないから、臨機応変に使われるものだ。しかしそう語ったところで、根深い拒否反応がただちに薄まるとは言えないだろう。
?C「脳と心の研究はまだまだスタート地点のようだ。」
毛嫌い、記憶と脳の働きで、今はっきりとわかっていることを挙げてみる。
1.記憶の種類によって必要とされる脳の部位が異なっている。
2.記憶は同じことを繰り返していくと、神経細胞の中の特定のネットワークが強
化されて忘れにくくなる。
3.興味、探究心がある時、脳の奥の海馬からシータ波が出て、記憶に関係する。(参考文献Newton別冊「脳と心」)
?D「理系人間の英語嫌い・・・渡辺郁子的解決法の現在進行形」
今私がわかっている方法、それは「なじんでいく」学習法である。人によって違う抵抗感の種類、度合いをそれぞれに合った方法でほぐしていく。求められれば、理屈でできる限り応え、文化的背景をシンプルに伝える。具体的方法は紙面の都合上割愛するが、「目、耳、口、手」を動員することや、色別作業で読み取ること、訓練リズムを生活に取り入れることなど、「なじんでいく」方法はいくらでも考えられる。身近に英語に触れる生活ができれば、成功の第一歩である。ただしたえず触れないと、なじんだものが薄れていく性質が英語にはあるようだ。
(3)文系科目だけが大好きな中学受験生が最後に伸び悩む理由
どの科目であろうと、学問的興味があることは、とても素敵なことである。ただしすぐに得点に結びつくから暗記科目に勉強時間を割いて、塾の偏差値を 上げることに一喜一憂する中学受験の勉強法は危険な方法である。社会などは、六年生後半に皆が力を入れ始め、みるみる追いつかれることがある。それよりも、算数の思考力とその土台となる訓練は、身に付くために時間を必要とするので、軽視するわけにいかないのである。そもそも算数から数学につながる物理的思考力は、物の学問なので道具である計算力と共に、物に置き換えてつかんでいく考え方をあせらず、時間をかけて確立していけば、具体物から身に付けることができるものなのである。
(4)家庭教師としての課題
生徒の発想法や理解の仕方に独特の個性が感じられた時、家庭教師としては、また新しい探検の道に足を踏み入れることになる。
生徒が「今もっているもの」「今なじみにくいもの」は私の目に全部映るのだろうか。次の三つの視点から視るように心がけている。
?@生徒自身の思いの側にできるだけ立って視る。
?A鳥瞰的に、状況を視る。
?B経験知ばかりでなく、学問的視野から視る。
そして、その時の私のキーワードは「お互い生き物である」ということである。
生き物の diversity(多様性)change(変わること) vulnerability(傷つきやすさ) interaction(触れ合い相互作用) potentiality(潜在性)に大きな可能性を感じている。
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