母国、オーストラリアは人口の4人に1人は他の国で生まれ、移民が大きなウェートを占める。
正しい英語への思いが強かった両親により、オーストラリア訛りを矯正するため、5歳から Educational Teacher に行かされ、正確な発音・スピーチの訓練を受けたのが、言語に興味をもった出発点であった。また、10歳の時、メルボルンオリンピックで多くの国の人と触れ合い、踊ったりリズムをとったりしながら、心が通じ合うことの楽しさを知った。
中学、高校、大学、そしてヨーロッパへの留学を通じて、様々な外国語を学ぶことになる。独語・仏語・伊語・それに日本語。(古代フランス語は、ラテン語・英語に近い)折しも、言語学という学問が丁度生まれた頃であった。日本への1年半の奨学金に対し、当時勤めていた貿易省の特別休暇が1年。退職して日本への留学を決意する。26歳の時、日本へ来て2〜3ヶ月も経たないうちに現在の夫と知り合い、人生がガラッと変わっていった。
先ずは慶應大学の語学コースで日本語を勉強したが、慶應には言語学の学科が当時なく、東大大学院で、柴田武先生に師事。言語地理学に関わり、岩手の雫石で農家の三世代の言葉の調査に携わった。古代フランス語もそうだが、方言は外国人だからというハンディがあるものではない。日本語の勉強と学位を手に入れるチャンスと思い、奨学金が切れた後もアルバイトをしながら学業を続けた。
大学院の頃、夫となる相手が会社を設立。彼は日本でしか生活できないが、自分は永住までの決心がつかず、一旦オーストラリアに帰国。就職活動しながら、研究員としてしばらく日本大使館で働くが、結局8月にオーストラリアに来た彼と結婚。翌年から、日本での永住がスタートする。
最初は、通信社に勤務。応募の際、性別の資格条件に触れぬよう下の名前をイニシャル(R.E.)のみで願書に記入し、インタビューを経て採用になった。外国人の会見やスポーツ取材、署名記事も担当。新聞記者はいろいろな世界に飛び込み経験できるが、自分が当事者ではない。書いたものは朝になればごみになって捨てられる。なにかもっと、残る仕事がしたいと思った。
次に証券会社に入り、ファイナンシャルに携わって実際の取引に参加。世はまさにバブル時代で、上り調子からやがて崩壊→リストラの途を辿る。
子どものできない2人だったので、仔猫をよく拾ってきた。ペットショップで元気な猫を買うのではなく、かわいそうな困った子たちを育てて、元気になったら新しい飼い手を探してやった。必然的に、獣医との付き合いになり、自分も獣医の勉強を新たに始める。受験のために通った予備校では、普通の学校制度に収まりきらない素晴らしい先生方がいた。日本の大学を出ていることという資格を満たしていたので、編入枠での受験を勧められて、麻布大学獣医学部に入学。47歳の時であった。大学は5年かかり、迷う気持ちもあったが、義妹の「椅子に座っていても、5年経ちますよ」との言葉が、背中を押してくれた。子どものいない自分が、あれだけ年齢の離れた若い子と毎日付き合えるのは楽しく、馬術部にまで入った。国家試験の1回目は不合格、2回目でパスした。獣医になりたいと思ったのに、夫の会社(歯磨き剤「アパガード」を開発・販売)の共同経営を自分の使命とした。
90年代のアパガードは、「芸能人は歯が命」のCMで一躍有名になったが、歯を再石灰化する成分の厚生省認可が13年がかりで下りた。現在入社12年経ったが、ますます夫婦の話題も増え、以前はなかった喧嘩もするようになった。社員70人が家族のような、楽しい毎日である。
今回の演題「ランゲージ・ギャップを乗り越えて」は、言語のギャップがあるということを前提としたような言い方だが、実のところはランゲージ・ギャップをそんなに感じない。日本に来る時、戦争の痕跡もあり、(日本人は)大変な人種だと言われた。が、どの国でも心は一緒であり、文化・習慣の違いは表面的なものにすぎない。日本大使館で、オクスフォード仕込みの流暢な英語を話すA氏より、B氏の自信がなく上手くつながらないが情味のある英語と、むしろ彼の人柄により好感がもたれた。
大学院では、皆何かしらの外国語に携わって、助け合った。麻布大の学友とは、年齢に大きな差はあったが、良心的でフレンドリーな関係を築けた。言語も年齢のギャップさえも心があれば通い合える。時間的にはハードだが学生は皆勉強熱心。一学年120人いるが、ゼミは少人数であり、家族的な研究室制度は他所にはない、日本のいい面である。
サンギに入ってから、ビジネス用語や仕切りなど不慣れな場面も多かったが、新たな業界に入ればみな同じこと。逆に日本語を一字一句でしか読めないので、文書の細かいチェックなど、人の役に立つこともあったかもしれない。
若い人に教える立場に際しアドバイスできるとしたら、言語に関して言えば、非常に肉体的なもので、テニスなどと一緒でツールがあっても相手がいないと始まらないということ。また、いくら文法が正しくとも、読むだけではコミュニケートにならない。自分の言いたいことを、自分よりレベルの高い相手ならわかってくれるし、2回3回とやっている内に会話は流れるようになる。言語上達にはパートナーシップが一番で、最後までいかなくとも積極的に言葉を交わせば、言おうとすることを相手が単語を出して手伝ってくれる。相手はネイティヴだから、自分が言い淀んだことでも、いい表現で写し取ってくれる。誰でも始まりは挨拶から。シンプルな言葉が習得できて、そこから心の通うコミュニケーションが生まれる。
英語が嫌いという学生もいるだろうが、それはそれでいいじゃないのというのが基本的な考え・・・ただ、どうしても目的や必要性があるなら、最低限それだけは我慢してみること。今の勉強で苦労しているのかもしれないが、もっと本当に興味のある何かがきっとある。仕事の面でも同様で、70人の「家族」とそれを一緒に探し出せれば、最高であると思っている。
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