?@ 作文と課題作文はどう違うの?
初めて公立高校入試の国語過去問を解こうとしたとき、たいていの生徒が、まずとまどうのは200字程度の課題作文ではないだろうか。
今まで学校で書いてきた作文といえば、遠足や運動会の作文から始まって、文集に載せる将来の夢や読書感想文に至るまで、「感じたことを自由に」書けばよかった。課題作文でも「自由に書きなさい」とあっても、敏感な生徒なら何かが違うと気がつくだろう。
それは、作文の場合は「主観」を自由に書いてもなんの問題もなかったが、課題作文では、同じ「主観」を自由に書くにしても、読み手(試験官)を納得させる論理的客観性が要求されるということである。つまり、課題作文は、作文と小論文の中間にあるととらえてもよいだろう。
?A 客観的文章ってどう書いたらいいの?
単純に言えば、たとえば読書感想文なら、あらすじが客観的文章、感想が主観的文章ということになる。学校の宿題では「あらすじだけではいけません」と繰り返し言われてきたと思うが、客観的文章を書く練習としては、感想は抜きにして「あらすじ」だけをまとめた読書ノートを作るのが有効だ。
その際、高校受験の課題作文の字数に慣れるために、原稿用紙マスのノートに、1冊について200字(志望校が決まっているなら志望校に合わせて250字、300字etc.)と決めて書いてみると、字数も体感できて一石二鳥だ。
あらすじだけと言っても、文章全体の構成や筆者の意図、主題をとらえた上で制限された字数にまとめなければならないので、論理的思考が要求される。
本は好きな本でよいが、なるべくなら芥川龍之介や夏目漱石、森鴎外など文豪の短編小説をぜひ読んでみたい。優れた文学作品を読むことで読解力も養われ、自然に語彙も増えてくる。
?B 論説文の課題ってすごく難しそうだけど…?
原稿用紙の使い方や字数制限になれてきたら、実際に過去問の課題作文に挑戦してみよう。
ほとんどが論説文の設問としてあり、初めは難しい言葉に圧倒されてしまうかもしれない。しかし、出題者側も相手は中学生とわかった上で、中学生らしい解答を期待していることを忘れてはならない。
気負って本文中にある抽象的な単語を引用し、自分で意味がわからなくなり難しげな単語を次々と引用しまくるなどという悪循環に陥らないようにしたい。
?C 文章力を伸ばすには塾より家庭教師のほうがいい?
進学塾に行けば、至れり尽くせりのテキストがたくさん用意されていて、多くの文章題に接することができるし、一人で勉強しているより試験会場の臨場感も味わえ、実力が刻々と点数化されてくるので受験勉強の励みになる。
ただ、作文の力を伸ばすにはマンツーマンの指導にまさるものはないと言ってよいだろう。
仮に「アイデンティティーがないままに無限の出発を繰り返す」という言葉を踏まえて作文を書く場合、意味がわからなくて途方にくれている生徒に、辞書的な意味を説明しただけでは文章を書くことはできない。
マンツーマンの学習なら「指導」などと堅苦しく構えなくても、ふだんの会話からわかる生徒の趣味や関心などに即して易しく説明することができる。そうして相手の興味を引き出し、言葉となって返ってきたものをどう文章にしていくかと方向づけていくと、初めはちんぷんかんぷんと思っていたのが嘘のように、すらすらとペンが進んでいたりする。
もともと言葉は対話から生まれたものだと思えば、文章を書くこともまた、人と人の対話と理解、コミュニケーションが根底にあると言っても過言ではない。家庭教師との出会いによって、きっと言葉の世界は豊かになるだろう。
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