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日本が本当に「豊か」になるための卓見をもち、提言する経済学者。
昭和3年大阪生まれ。日本女子大学文学部卒業後、法政大学大学院理論経済学博士課程修了。経済学博士。昭和50年には埼玉大学教育学部教授となり現在は名誉教授。専門分野は生活経済学。
また、NGO国際市民ネットワーク代表。
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日本の教育の戦前戦後変わらない点は、詰め込み教育である。詰め込みができる子はいいが、そうでない子もいる。
我が家の場合は、上の子はすっと学校を出たが、下の子は芸術的な天分があり、学校教育の枠には収まりきらずに家庭教師を頼んだ。子どもが複数いたことで、同じ親から生まれても個性に違いがあるということを初めて身を以て知った。
日本の教育では、同一カリキュラムで、どんな子にも一律に教える。そういう教育の中で育つと、どういうことになるか。
人間の子どもというのは、親から世話してもらわなければ生きていけない。これほど無力で生まれ、受身で育っていく動物はない。歴史的にはるか前からのことを受け継いで、それを今生まれた子に伝えていく。しかも未来を考える。(未来を考える動物はいない)
子どもは、親の顔色を見て育っている。早期教育に慣れると、親が期待する答を言おうとしてしまう。子どもは、親を乗り越えないといけない。未来を考える上で、今あるものに満足してはいけない。創造をしつつ、昇華していく。
個人と個人の出会いというのは、一つの縁のようなもので、そこから思いがけないことを学んでくれる。
現在、国際市民ネットワークの活動をしており、貧困国を訪れる際、大学生をよく連れて行く。自転車の組み立て修理を教え、全部できるようになると卒業証書をあげて、自分が組み立てた自転車をあげる。
何も知らない人に、一から教える体験をした学生が、帰って真っ先に中学の時に教わった家庭教師の先生に報告に行った。何か嬉しいことがあった時、報告に行くのはどんなにいい出会いか。
今の日本の教育は、詰め込みで自分から考えることがない。行き届いていて何もかも教えているように見えるけれど、人間の能力をだめにしている。
25人の小5から大学生までの有志を、貯金をはたいてユーゴスラビアの難民キャンプへ連れて行った。悲惨な状況の難民の中に入っていって、学生達はみるみる変わっていく。
現地の小1の子が、誰から教えられるのでもなくこう言った。
「おばあさんから、どんな不幸の中に遭っても、一つはいいことがあると聞いた。ここ難民キャンプにいることで、普段絶対知り合いになれなかったような日本のあなた方と、友達になれたことは幸せだ」
それを聞いた学生の一人が口にした言葉が印象的だった。
「大学を出ないと就職できないと言われ、ステージを上がるように生きてきたが、何のために勉強しているかわかっていなかった。自分たちを世界中で待っている人がいる。自分たちが教育を受けて、それができない人のために、何かできることがある。」
自分が何のために勉強するのか、わかってないのに勉強させられる不幸。日本の子供は一見豊かだが、自由はあるか。識字教育は豊かだが、実は不幸である。日本では、尻をひっぱたいていい席にばかり就かせたがる。それでは、悪い部分は誰が改革するのか。
これは面白いという、学ぶ動機づけがわかっていたら、自然と勉強する。テストのために勉強していたら、楽しむという気持ちが湧き起こらない。
日本の学生は、すぐ順番づけをするが、個性は比べられないから個性だ。
ドイツの大学で教え、休みの日は小学校から高校まで参観して回ったが、ドイツの教育の特徴をあげると、
1、教員養成はゼミ主体で、大学院卒が条件。
1年間の教育実習を課し、自分が教師に向かないことを悟らせ、教師になるのはこれだけ大変だけれど、喜びがあること、向き不向きがあることを悟らせる。
2、15人の少人数制。
戦争とナチズムへの反省から、暗記が得意な子、深く考える子、自分の経験を書くことに長けている子、いずれも何かしら書けるテストになっている。
3、アビトゥーア(大学へ行くための試験)は、高校の先生が作る。
今の能力よりも、これから大学へ行く能力があるかを問う。
学校の先生には、教科書をそのまま教えるのは馬鹿、という考えがあり、教科書以外のことを創意工夫して教える。
1+1を今日も明日もずっとやり、そのうちに新しい発見を言う。
1と2でどちらが大きいか聞き、子どもがどんなことを言ってもニコニコした顔を変えない。大学院の時に、子どもの前で怖い顔をすると、繊細な子は臆してしまうことを学ぶ。1というのは、大きい1があると思うと言った子に対し、棚から地球儀を出して、「地球は1だよ。1は大きいね。この地球の中にいくつもの国があって、いっぱい言葉があるよ」どんなことを言っても、×はない。「君はこういうことを言ってるんだろう?」と引き出す。引き算の時、ロケットの発射のようにマイナスに向け引いていく子どもの考え方を認める。
私は、文学の対極にある学問をやってみないと、この世のことはわからないと思って、経済学をやった。わかりがよく記憶力に優れていたため、勉強で苦労してなかったが、マスター論文は将棋と同じで、今まで誰も考えたことのない手を一手入れないとダメと言われた。知識の暗記ばかりで、根本を考えてこなかった日本の教育の欠陥に行き詰った。
ドイツではなぜ、全員が原発に反対するのか。
答は、教育が違う。目先のことばかりに走る教育は貧しい。1が大きい・マイナスから発想する子どものいいところを引き出す教育は楽しい。
自分がなぜだろうと疑問をもって勉強したことは忘れない。日本は、効率主義の余り、却って効率の悪いやり方をしている。いくら勉強させても、子どもに残らない。
日本の子どもは自己肯定感が薄い。それぞれの人が自分の価値に気づき、生きがいを持っていく社会ではない。できる子、できない子という目でばかり見ていくことは、日本の社会にとってマイナスである。
家庭教師の皆さんは、長い人生を楽しく生きがいをもって生きていくかそうでないかという境目の仕事をしている。人と人との出会いというのは、得難い素晴らしいものであるということを、肝に銘じていって戴きたい。
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