<心を通しての指導のあり方>
指導の様々な局面に対してどう考え、どう対応していくかというのは、実際難しい問題である。生徒は一人一人違う個性を持っており、二人として同じような子はいない。指導において生徒との信頼関係が大切なのはいうまでもないが、どのようにして信頼関係を築くのかは、場数をこなして経験で身につけていくしかないのだろうか。これまではそうだったのだろう。しかし、今指導困難なケースが急増している中で、経験だけに頼っていていいのだろうか。私は、教師である以上、ある程度心についての理解をもつことは、これからは必須なのではないかと考えている。これは時代の要求とでもいうものだと思う。世の中が速いスピードで変化しており、人の価値観も多様化しているため、教師の個人的な経験だけでは追いつかなくなってきているのではないか。
心について学ぶというのは、すなわち無意識の働きについて知るということである。学問として心理学を勉強すればそれでわかるというものではない。私達自身がまず自分の心を見つめ、自分がどのような価値観を持ち、どのような望みや恐れをもっているのか、表面的な思考や感情の奥で、本音では何を感じているのかを丁寧に探っていくという作業を通して、自分のありのままの心を感じ取れる感性を磨いていくことにより、生徒や親の心の奥も徐々に感じ取れるようになっていくのである。
とはいえ、心の世界というのは目に見えない世界であるため、しっかりとした軸を持たないで闇雲に探求していくと、無意識の強い力に振り回されることになる。その結果、現実生活から乖離してしまったり、怪しげな新興宗教にはまったり、マインドコントロールされたりと、様々な危険が伴うことがある。また、ちょっと分かった気になって他人の非常にデリケートな部分に下手に触れてしまい、大きく傷つけてしまうこともある。
そのような危険がある反面、一人一人の生徒を十分に理解しサポートしていく上で、心への理解は大きな助けになるのも事実である。私達家庭教師の究極の目的は、生徒が将来自分らしく人生を切り開き、幸せになっていくために、主に勉強面からサポートすることである。人間はどの人も例外なく、心の奥底では「幸せ」、すなわち「愛し愛されること」を求めている。一見不可解な言動に見えても、その奥には必ず愛を求める心が隠されているのである。それをしっかりと受け取ることが出来ると、おのずとどう対応するのがよいのかが見えてくるのではないだろうか。 |