我が家のコンピュータのワープロで「家庭教師派遣業」と変換しようとすると、「家庭教師は兼業」と打ち出されてしまう。困ったものだが、実際、家庭教師を専業でやってゆくには、かなりきついものがある------そんな実感を持つに至る、年度切り換えの仕事減少期を体験してきた。
私は目下、家庭教師専業ではない。塾の講師もかねているが、このところの少子化と不況で、それだけで主たる生活を支えるのが厳しくなってきた。
家庭教師の仕事には、長年やってきて生き甲斐も感じ、学院への愛着も人一倍ある。
実家の群馬への里帰りを親に求められる中で、なんとか当学院とのお付き合いも続けてゆきたいという気持ちを守るため、昨年の秋からさまざまな職種を実践することにした。
些か私事になるが、自分の多方面の経験と、それを通じてより強く感じることになった、家庭教師という仕事への思いを、率直に述べてみたい。
私の住むマンションの2軒となりには、猫のマークの宅配便がある。時給は安いが、通勤時間ゼロということで、12月〜1月のお歳暮繁忙期の間だけ、事務の手伝いを始めてみた。
普段孤独なソロプレイを求められる家庭教師と違って、雑多な人たちとの出会いがあり、とくに肉体労働系のドライバー達のもつ、「お金でものを測る尺度」が、家庭教師という「プライド」で働く仕事とはまた違う世界で、ある意味斬新だった。
また、家庭教師は、担当責任制だが、こちらの事務は、時間で切り替わるシフト制。時間が来ると、請けた仕事の責任担当すら、次に引き継いで責任を渡してしまう。
ここが私には未だ納得いかない点でもあり、改めて、とことん担当した生徒の将来に責任を持つ、家庭教師の責任感とプライドの崇高さを認識しなおした。
春になると、家庭教師・塾の農閑期が訪れる。合格した生徒を送り出した後、3月はガクンと定まった仕事が減る傾向があるので、生活について真剣に考える必要を迫られる。
この「冬」を乗り越えるため、始めたのがF社での、日払いの仕事だ。
ビラまき、ティッシュ配り、立て看板持ちなどを、極寒の冬の最中からやり続けた。
同じ派遣業。同業者の目で内部を見る、よい機会を得た。
しかし、こちらは、人を「使い捨て」の仕事である。派遣されるところに「自分」はいらない。歯車となって、与えられた仕事をこなすだけであり、評価もない。
よく働こうが、サボろうが、高校生たちと同じ時給で働くことに、何か違和感を覚えた。その分、クレームが出てもこちらには一切届かなかったのだが、その「責任」が必要とされない職場に、居心地の悪さと気詰まりを感じた。
さまざまな職種を体験してきて、派遣され、職務を課されて自分を試せる「家庭教師」という仕事に、改めてプライドを覚えたものである。
しかし、そのプライドだけでは食べてゆけない現状を打開するのに、今も孤軍奮闘中である。
宅配便の事務をやり、塾講師をやり、暇なときにビラをまく毎日を続けているが、うつむかず、状況を変えてゆく勇気と決意を持って、この「冬の時代」を乗り越えてゆこうと思う。
修業時代を経て、それもまた自分だということを、今後の指導に何らかの形で生かしてゆければ幸いである。
この経験を通して自分の器を広げ、自分自身成長し、日々の糧を得るだけではなく、長年お世話になっている日本家庭教師センター学院を支えてゆく一人の家庭教師となれることを、強く願っている。
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