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社会的ひきこもりと呼ばれる若者の現象を専門にしているが、ひきこもりは浪人とよく似た現象で、長期間にわたる程理想が高くなり、泥沼化する。多浪するのは、ほぼ男性である。なぜ男性に多いかは、儒教文化圏の特質といえる。いわゆる男尊女卑社会では、家ぐるみの男性に対する期待の高さ、社会参加へのプレッシャーが強い反面、女性は家に留まることが求められ、家にひきこもっても家事手伝いなどの名目があるため葛藤が少ない。 日本全国には、現在控えめな数字として41万世帯にひきこもりの子どもがいる。不登校は少子化傾向に逆らうように数を伸ばし、13万9千人(内11万2千人が中学生で、クラスに1人を超えている)という状況からも、フリースクール・家庭教師などのオルタナティブな対応が急務である。 韓国の不登校の子どもというのは、学校が自分に合わないといった割り切り方ができ、堂々としている。自己表現を見つけ出せるという点で、不登校のエリートという言い方もできるが、日本の子どもはあいまいで、学校に戻りたいが戻れない。自己に対して否定的である。女の子ではリストカット、男の子でも自殺願望をもつ子もあり、身近な大人がそうした訴えを相談されるとパニックになりがちだが、死にたいと言って死んでしまうケースは少ない。不登校になる子というのは、こころの健康度はむしろ優れている。ただもしも危機サインが出てきたら、医師は親御さんに必ず知らせる。秘密にはできない。なぜなら、生きていてほしいから。 最後に、家庭教師がどこまで踏み込めるかだが、初めにできること、できないことを言い切る勇気をもつことと、カウンセリング・マインドの重要性に尽きよう。自分の意見や価値判断を押し付けてしまわぬよう、カウンセラーも家庭教師も考えるべきである。ひとつには、医師は健康度を高める、家庭教師は勉強に気持ちを振り向けるという分業も有効だ。健康であるための情報提供をして、自分の専門に限定して関わる。いかに生くべきか、どうすべきかは不用意に言わず、判断は個々に選んでもらうことが大事だ。不登校の子どもは、傍目には怠け・わがまま・甘えに見える。大人がそういう価値判断を下すことを彼ら自身が知っている。自分が自分に否定的なのだから、他人がそうであることがわかり、とっくに知っていること、考え抜き悩み抜いていることを言われると、敵であると思ってしまう。知力については大人だが、感情面で未熟であり、敵味方ということで分けてしまうので、批判やむやみにほめすぎるのも禁物だ。意見の押し付けはお説教=敵と考えてしまう。だからその点については触れないで、不登校であるからこそ勉強に特化し、時には勉強にならないこともあるだろうが、一緒に何かをすることで、関係を築くことが何よりも大事なことである。 |