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こんにちは! 毎中談話室へようこそ。 今月は国語だよ。『高校合格講座』では、5月、6月と、芭蕉おじさんが大活躍だったね。ふつう"芭蕉翁"なんていわれるから「おじいさん」が正しいんだけど、『奥の細道』を旅したのが45歳、あの世へ旅立ったのが50歳だから、君たちの感覚では「おじさん」(もしくはオヤジ?)って感じだよね。 とにかくこのおじさん、すごくよく歩く。芭蕉といえば『奥の細道』、高校入試では毎年、複数校で出題されるという最重要アイテムだけど、この他にも、けっこう紀行文を書いているんだよ。ざっとあげてみよう。 『野ざらし紀行』(40歳) 『奥の細道』の冒頭文で、「去年の秋に旅から戻ったが、年が明けて春になったら、また旅をしたくて狂おしくなった。」といってるけど、この「去年の旅」つまり『更科紀行』の旅を終えてすぐに『奥の細道』に出発したというわけだ。 新幹線もタクシーもない時代、疲れた時でも頼れるのは、せいぜい小舟か馬の背中。しかも、泊まる宿だって電話でホテルを予約、なんてわけにはいかない。 のみしらみ馬の尿(しと)する枕もと ノミやシラミに夜どおし責められ、枕もとでは馬がオシッコしている・・・そんな宿でも無いよりマシ、泊まれるだけでもありがたいんだね。 |
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こうして『奥の細道』の旅は終えたものの、すぐに江戸にはもどらず、伊勢参りに行ったり、関西で住まいを変えて「幻住庵記(げんじゅうあんき)」や「嵯峨日記(さがにっき)」を書いたりして2年半ほどすごしている。その後いったん江戸にもどるけど、3年くらいして、またまた西へと旅立つ。そして、これが最後の旅になってしまうんだね。芭蕉らしく旅の空に死んだわけだ。 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる これが辞世の句(この世の別れに詠んだ句)といわれているけど、おそらく紀行文に出てくるどの句でも、これが最後かもしれないという覚悟はあったんじゃないかな。「古人も多く旅に死せるあり」と芭蕉もいってるけど、それくらい昔の旅はきびしいものだったんだよ。 期末テストが終わったら夏休み! |